2020年8月20日 (木)

日本海

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昨日から冬型が強くなったようで夜は寒かった、西高東低の気圧配置になってくるといよいよ日本海にシーズンになる、ここんところの情報見てても良い波の多くは日本海沿岸だ、たしか70年代の後半から日本海へ通うようになった、当時はKIKIの民雄の車で岐阜へ行き、永井やら和田くんを乗せて行ったもんだ。その頃はまだレギュラーが最高の和田や、ヨコハマが良かった頃であのあたりをグルグル回って良いポイントを探しだしていた。車から岸まで雪をかきわけながら歩いたこともある。一枚目は85年のレインボー,2枚目も多分その頃のロックダンス。当時のロックダンスはまだ船を持ったおじいさんが元気だったころで、朝一の仕事はそのおじいさんを起こして船を出してもらうことだった。たしか一人往復で500円払ってたかな、それが結構孫へのプレゼント用に役立ったようでいつも無理を聞いてもらってたんだけど、何時の頃か続けて沈した時があってそれ以来家族に止められたみたい。それ以降ショートの頃はあそこを延々と歩いていたし、ロングになってからはパドルで20分以上頑張ってた。そうそう、遠い鳥取にも何度か楽しい遠征させてもらったね。急にこんな事を思い出したのは、もう今シーズンからは日本海も止めようと思い立ったから。数年前のこの雪山を最後にスノーボードも止めた、それもこれも何とかこれからもサーフィンを続けて行くために決めたこと。日本海も大好きだったけど、もう無理はしないことにする。還暦で生まれ変わってからもう4年、出来れば何とか70まではやって行こうと思ったたんだけど、最近の石原元帥の元気さを見るにつれ、これじゃいかんと思い始め、もっと目標を伸ばそうと思ってる、とりあえずは後10年現役で出来るように節制しながらやってくつもりなんで皆さんよろしくね。

November 14, 2012

2020年7月31日 (金)

南秀史郎

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何年か前に続いて今回の大会にわざわざカリフォルニアから参戦してくれたのが、日本人で唯一あのマーべリックにアタックを続けている南秀史郎!たしか前の時は波が小さくて苦戦したようだけど、今回の荒れ具合は何ともなかったようで見事アンコマンを抑えてロイヤルクラスで優勝をされました。会場で聞いたマーべリックの話は、聞いてるだけでも恐ろしい事ばかり、40フィートのうねりにパドルで挑戦って一体どんな人間なんやろうかとまじまじ顔を見つめてはみたものの・・・当然ながら普通のお方、っていうか普通よりも一段と柔和なお顔でしたよ。マーべリックで後に続く日本人の若手を待ってるそうなんでぜひ次世代の若者には挑戦して頂きたいもんです。私は話を聞けただけで満足でした。わざわざの来日ありがとう!優勝おめでとう!   南秀史郎インタビュー

2020年7月28日 (火)

8月26日(日曜日)午前6時48分伊良湖先端

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連荘の最終日となった26日日曜日は北村さんの予定に合わせて日の出前から大あさりポイントのアウトへ出陣、撮影が5時過ぎから7時半まで限定だったんで、それに合わせて何とかライディングしようと思ってはいたんだけど、気が付いたら強烈な逆光でビーチがまったく見えず、またしても北村さんがいるのかどうか、カメラの位置もまったく確認出来ず、どうなっているのか不安満載。し・・・・しかし次の日には北村さんからこんなに素晴らしい一枚が届きました。まあまあのサイズで苦手なバックハンドのサーフィンながらこの一枚は誠にありがたいです。自分で見てもこれならほぼ満点、ポジションも良いし、目線・手の動きもパーフェクト、僕のバックサイドとしてはこれ以上の瞬間は無いと思います。たしかこの日の北村さんは予定が詰まっていて早朝から深夜まで撮影だったはずですが、朝一でこのような一枚を撮って頂けたことに感謝いたします、家宝にさせて頂きます。次回はぜひレギュラーでもお願いいたします。   撮影 北村 守

2020年7月27日 (月)

マイケルサーフショップ

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昨日湘南へ行ったのはTEDさんの奥様の古稀のお祝いと、TEDサーフショツプ50周年パーティーの為でしたが、今回はもうひとつマイク柳田さんにお会いするのが目的でした。中央が奥様の百合子さん、右がマイクさん、実は昨日も書いたけど1968年に初めてサーフィンを七里でやった時のボードがTEDでした、何も知らない三人が一本のロングボードを抱えて海パン姿、回りのサーファーはウェツト着てたからちょうど今頃かもう少し後かな、なんせワックス知らなかったし、七里にリーフが有ることも知らないんだから今考えたら恥ずかしい話し、結局ろくに乗れないうちにボードがリーフにヒットしてスケッグ折れちゃって終了。東京に戻ってから情報を集めワックスが必要だと判明したものの、さてどこに売ってるのかまったく判らない、そのうち誰かが銀座にサーフショツプってのがあるらしいと聞いてきて探しに行って、たしか西銀座?だったかなぁ新幹線の下にあるアーケードに有ったのがマイケルサーフショツプ!そこのオーナーがマイク柳田さんだったのだ。もう45,6年も前の話しだけど名古屋にいるとその後の情報もショツプを知ってる人も殆どいなくて中々当時の事を思い出せずにいた、それが昨日TEDさんに紹介してもらい本人から当時の話を色々と聞けて大感激ですよ、銀座の店は3年ほどて閉めて青山へ移転したそうでやはり伊良湖のサーファーはあまり行かなかったみたい、ただ驚いたのは兼ちゃんが40年も前に初めてボード買ったのがこの青山のお店だったそうでビックリ。長い間思い出せなかったり疑問だった事が氷解した素晴らしいひとときでした、マイクさんは暫く海から離れていたけど最近また海へ戻ってサーフィンする為に御宿住まいとの事、いつか一緒にサーフィンしようと約束してきました。

先日の「マイケルサーフショップ」を色々と調べていたら「Hamilton Surfboards」のfukudaさん記事を発見した。「1960年代の終わり 確か1968年頃 東京の銀座のはずれ 今のJRの新橋に近い地下に静かなショッピングセンターがあった。お客は外国人観光客が多かった。免税店がたくさんあったからだ。その中にサーフショップがあった。店名は「マイケルサーフショップ」オーナーはマイク柳田というハーフのとっても格好いい人だった。半年くらい前に友人の所で30年ぶりくらいにマイクに会った。僕と同じくらいの年齢なのにいまだに締まった身体をして サーフィンも続けて モデルの仕事もしているという 良い年の取り方をしている人だなぁと うれしかった。当時の東京には私の知る限りサーフショップはTEDとDUCKしかなかったと思うが そんな時 開店した「マイケルサーフショップ」は本当にカッコ良かった。小さな店で店内には数本のサーフボード マリブやテッドにウェストコーストという僕の大好きなサーフボードもあった。鈴木三平氏という湘南のボードメーカーだ。その他 オーナーのマイクがハワイやカルフォルニアで買って来たハングテンのトランクスやホビー ゴードンスミスのTシャツ 新着のサーファーマガジンなど欲しいものばかりが揃っていた。今と違い外国の情報が殆どない時代 マイクが行ったハワイの波やサーファー サーフボードの話や8m/mで撮影してきたマカハやサンセットなどの映像もみせてくれた。僕は週に一回は友人達と通い 湘南の友人とも よくその店で会って波の情報を交換したりした。それから何年か後に区画整理か何かで残念ながらなくなってしまった。とにかくサーファーには居心地の良い素敵な場所だった。 」やはり僕の薄っすらとした記憶とほぼ合致した、そういえばあのアーケードはアメ横みたいな雰囲気もあったし、不思議な空間だった覚えがあるもん。
April 22, 2012

錦吾

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先日のとんぼちゃんに続いて今日もまた懐かしいサーファーに会った、朝のラウンド終えてビーチ歩いてたら誰かが手を振ってたんだけど、なんせ目が悪いんで誰だか判らずに近ずいたら何と錦吾だったよ〜、何年ぶりかな?古いサーファーには懐かしい顔でしょ、たしかその昔、柴賢の後を継いで赤羽根ゴッデスに住み込んで店番やってたはずだよ。最近の若いサーファーはどうなんかよく知らんけど、彼の若い時は凄かった、僕と一緒で小波の似合わないサーファーなんだけど、気が付くとふらっといなくなるの、んでもって暫くすると何事も無かったように海に入ってんだけど、良く聞いてみると海外でサーフィンしてたって言うの、それもハワイとかカリフォルニアとかなんじゃなくて、平気な顔でニアスだったりグラジガンだったりJベイだったりして驚かされたもんだった、こういうのってCoolだよねぇ、それに多分目が悪いせいだと思うけど毎回メチャクチャにエグイとこからテイクオフして突っ込んでた、まったくのサーフィン馬鹿って感じやった、いやはや懐かしいわぁ、今日は残念ながらすれ違いで彼のサーフィン見てないんだけど、そう簡単に変わるわけないから、きっと良い波にチャージしてたと思うな、ここ見てるそうだからまた今度ゆっくり昔話しようね。

2020年7月16日 (木)

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まだ自宅に自分の部屋があった頃はそれまでのトロフィーとか賞状とかが飾ってあったんだけど、子供が大きくなってきて部屋を明け渡す時に全部捨てちゃった、古い時代のトロフィーって結構かさ張るし邪魔なんだよねぇ、でもさすがにこれだけは捨てられなかった、気が着いたらまだ写真が撮ってなかったんで記録に残すために撮影してみました。こうして振り返ってみるとショートの時代のピークは1987年だったんだなぁ、あの浜松での全日本はまったく本命で負ける気なんかこれっぽっちもない絶好調、まるで今年のILCみたいな感じだったのに情けないボンミスで自滅してしまった。それ以降海へのテンションが一気に下がってしまい、折しもバブル到来で仕事がとんでもない事になり初めていたんで少し海から離れてしまってゴルフにのめりこんでしまったのだ。あの87年にもしも・・・・・だったらその後のサーフィン人生はまったく違ったものになっていたはず、人生なんて判らんもんだわ。

 

2020年7月10日 (金)

ノースショア 1980

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この1980年に僕は初めてノースショアへ向かった、サーファーなら誰でも同じ感動を覚えているはずだけど、パイナップル畑を抜け下り坂から初めて見たノースのラインアップに感動してしまった。入ったのはハレイワ・チャンズ・ラニアケア・バックドアだったけど、1人であちこちウロウロして、左から見ただけのパイプライン・なぎのワイメア、当時はまだ健在だったハレイワシアター。

2020年7月 8日 (水)

ロコポイントの看板

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先週ロコポイントのサークルに真新しい看板が立ちました、「離岸流」キケンと地震・津波発生時の避難場所を明示した看板です、台風でクローズした今のような状況でも海に入るサーファーや一般遊泳者が後を絶ちません、私としてはサーフィンはあくまで自己責任でするものと思っているので、海に入るサーファーを引き留める気はありませんが、こうして公にされた情報すら把握できないサーファーに入られるのは迷惑です、もし事故を起こしてしまうと大勢の方々に迷惑をかける結果になります、海は決して優しい時ばかりではありません、それは津波を見れば判るはず、どうかくれぐれもしっかりと自分の責任において入る時点でしっかりした現状把握と自己技量把握をお願いします、流されてからでは遅いんですよ。

2020年7月 6日 (月)

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他の写真を探してたら偶然出てきたこの写真、まったく記憶にありませんでした。これ顔が焼けてるからきっと帰国する時の空港かね?向かって前列右が茂紀くん、後列で真ん中が私、左がミチヤ、右端でカメラ目線外してしかとしてんのがCARLOSですがな、よくよく見ると私のアロハは何とキッコーマン柄じゃんか。

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2020年7月 3日 (金)

Captain

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80年代のBALIへ行く度お世話になったのがこんな感じの船長さん、近場じゃクタリーフやエアポートリーフ・エアポートライトへ何度も通ってた、そんな時は送ってもらった時に帰りの時間を伝えてまた迎えに来てもらってた、忘れちゃったけど料金はタダみたいなもんやった。時には貸し切りで遠出してバランガンやビギンまで行ってポイントで待っててもらった、一番遠かったのはウルワツまで行った時かな、ただこの船長さん怖がりやからブレイクから相当離れた所に錨を下ろすもんだからピークまでが遠くて参った、でも一日中黙って待っててくれたし、Tシャツ1枚で喜んでくれたし、まあ良い時代に行けて幸せだったなぁ。

2020年6月18日 (木)

最後の日本海

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ウロウロしてたら伊良湖やら伊勢のサーファーに一杯会えて良かった、結局ここに入りました、弱いオフショアでセットはオーバーヘッドから頭半上、まさかのど太いリーシュに切り替えたですよ、入ってみたらハードで笑えてしもた、何回も洗濯機みたいに巻かれてアヘアへ、新年早々にこれはきついわぁ、しかしフル装備にホットジェルまでたんまり塗ったのに回りの若いサーファーはグローブどころかブーツもはいてないんだよ、参ったな若さって素晴らしいね。

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2020年6月17日 (水)

チャレンジ

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実はどうしても年内にやりたい事があって時期を見ておりました。お天気が良くて波も風も無い日を選んで何とかSUPでロコポイントからロングビーチへ行きたいと計画しとりました、今日は絶好の機会だと思い9時過ぎから決行することにして杉浦仁さんと二人で挑戦することにしました。アウトに出たら思ったよりもうねりや風が有って大変でしたが、四苦八苦しながらロングビーチまで40分掛けて到着しアウトにいたサーファーと言葉を交わしてからUターンしてロコポイントまで…結構きつかったです、途中から足にきてしまい何度か沈しながらまた40分掛けてロコポイントまで往復完了、めちゃ疲れたけど年内に出来て良かったです、我ながら頑張ったんで超満足。


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なんか「私の履歴書」みたいになってきたけど、まあこの年なら隠すようなこともなくなってしまったんで良いのかなぁ。この3枚はどれも1951年(昭和26年)の誕生日直前となっていた、3歳を目前に様々な動きがあったようなんだ。左は父親と大学の教室で、この当時の父は大学に残って研究者になるつもりだったそうだ、その為親子で東京に住んでいた、2枚目は家族で大学の屋上での一枚、その予定が祖父の意向で岐阜に無理やり戻らされたのがこの年だったようだね、3枚目はその祖父と岐阜市加納の官舎での一枚、最後がこの官舎の外観、当時は凄く大きく感じたんだけどそうでもなかったのかな。結局このまま大垣工場が完成する昭和30年までこの官舎祖父と一緒に暮らしていた。

190歳

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波は無くても今からショートで入るお三方、何と合計してみたらジャスト190歳ですがな。左から62+67+61=190!ジャンジャン・・・

ツーショット

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この週末は息子と一緒に波乗りでした、今年の6月から仕事の関係で彼が田原に住む事になり、その頃からマメにサーフィン始めたようです、和尚に無理言って借りっぱなしのボードに乗ってる姿をその頃見たんだけど、まあ何と言うか普通にテケテケで初心者の域を出た無かったんだけど久しぶりに見て親バカかもしれんけどちょっと驚いた、パドリングがちゃんと様になっているし、テイクオフも普通に出来るようになっていた、まあライディングは1年目のサーファーらしいもんだけどこれなら安心して見ていられる。そんな訳で昨日は北村さんの御無理をお願いして息子の北村さんデビューを果たすことが出来ました。朝イチからロコポイントでの撮影ではそこそこライディングも出来たようで北村さんからは「良いのが撮れてますよ~」と言って頂き嬉しい限り。3時間程撮影して海から上がり良い機会なんでまたしても無理をお願いして親子のツーショットを撮ってもらうことに。二人が堤防をバックに立っていると北村さんは妙な動きを始め非常に不自然な姿で撮影開始、その時はまったく意味不明でカメラマンという人々はあんな格好で撮影するんだと無理やり納得させておりましたが、今朝届いた写真を見てなるほどと納得、低い姿勢からバックの青空を入れておられたんだそうです、たしか昨日の朝は薄曇りだったのにこうして写真になるとそこだけ晴れていた西の青空が入って素晴らしい写真が完成、まさに北村マジック本領発揮です、凄いもんですねぇ、北村さん貴重な親子写真をありがとうございます、家宝にさせて頂きます。 撮影 北村守

2020年6月16日 (火)

祝勝会

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何でも今夜は「DA.CARLOS」でこの二人の祝勝会やるげなです、右側で悔しそうなお顔しているおじさんは今年60歳クラスに上がったばかりの若手、まあ普通なら若手有利なんだけどそうはいかんのが面白いとこやね。今年は梅雨明け以降ロコポイントの地形が最悪で大会まで変わることは無かった、前日から台風のうねりが入って来たので干潮時にはアウトが割れてそこそこ出来るんだけど満潮になるともうダメダメ、激しいバックウオッシュでワイドになってしまい酷い波。何とか残ったファイナルが始まったのはもっとも危険なAポイントでしかも満潮、早めに準備して前のメンクラスをチェックしてたんだけどやはり皆ショートライドばかりで苦戦、しかもゲットがハードそうでヤバイ。3分前に一番でアウトに出て僕と会長が東寄り、タキさんとCARLOSが西寄りにセット、これは最後まで変わらず、一本目乗って横見たら何と会長が一本目のライドでボードをボキッと折ってた、この後は皆さん御承知の通り、折れたノーズを捨て去ってまたそのまま競技を続け、6本も乗って自己ベストまで出すという荒業、まさに敢闘賞に値する見事なサーフィンでした。私は何本かショートライドばかりでポイント稼げず焦ってはいたけどあの波じゃどうにもならんと思った4本目、何とフェイスが広がり前が空いた良い波に当たり嘘のようなロングライド、結局これが「8.0・6.0・6.0」の6.67とハイポイントになり2本目の2.5との合計9.17でトップになれた、ちなみに2位のCARLOSは3.17・2.20の計5.37だったから完勝だわさ、あの波でGOODポイントが出せただけで今回は満足、10点超え無かったのが悔しいけどAポイントでは康くん以外皆僕より低かったからそれで十分かな。ちなみにこの後一本乗ったら残り3分のコール、嘘みたいだけどここから終了までまったくショアブレイクに歯が立たずゲット出来なかったのがお恥ずかしい

伊良湖のルーツ

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今回60歳以上のレジェンドクラスに出場した鈴木光彦選手はたしか65歳、伊良湖で初めてサーフィンをしたまさにルーツそのものであります、1966年にロングビーチへ初めて入って以来44年間に渡りサーフィンを続けている神様のようなお方ですが、大会ではまさに嘘のような活躍を見せてくれてジャッジも真っ青になったようです。まずSFではカルロスがまさかあそこからは来ないだろうという奥からテイクオフし、これで何とカルロスが妨害をしてしまうという羽目に。そして噂のファイナルです潮が上げてバックウヲッシュが強烈なAポイントで何と最初の一本目でノーズから50cmの所を真っ二つに折ってしまいクロス一枚でブラブラの状態だったのを何を思ったのかそのクロスをはぎ取りノーズを捨ててそのまま競技に戻ると言う信じられない行動をとり、もっと凄いのはその後ノーズのないボードであの危険きわまりない波に6本もテイクオフし、しかも一本2.17の高得点まで叩きだし、結果3位に食い込むと言う若者も真っ青なサーフィンを見せてくれました、ジャッジも敬意を表して急遽「敢闘賞」を新設し光彦さんに授与するという結果になりましたが、同じヒートにいた私は怪我が心配でヒヤヒヤでした、しかし素晴らしい元気を頂きました。

ハーレー&デーン

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2009年度ASPロングボード世界チャンピオンのハーレー・イングレビー、同じくオージーで先日ハーレーを破ったというデーン・ビオリのエキジビションでの凄いライディングはビーチで見ているサーファーが思わず歓声を上げるほどでした、さすが世界のレベルは違うと思いっきり見せつけてくれました、同じ所でライディングした日本のプロには良い刺激となったはずです、また二人ともスクールにも積極的に参加してくて、やはりボランティアに対する歴史と態度を考えさせられました。  撮影 北村守

東京都知事

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先週末にロングビーチで開催された「サーフィンフェスティバル in 田原」の模様が、明日4日AM9:55から東海テレビ(1ch)の「スーパーサタディ」で放送されます、ほぼ10分程度の内容になりそうですが、イベントの模様やじゅりちゃんのインタビュー等、楽しそうな内容なんでぜひご覧ください、しかし太郎ちゃんはサーファーにしちゃ色白でまことに色男ですねぇ、ちょっと負けてる?  撮影 北村守

2020年6月15日 (月)

波乗陀仏

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今朝もまったく疲れが取れず朝からユンケル錠剤とアリナミンドリンク・レッドブルの3点セットで何とか仕事してます。8月最後の週末ということで何から何まで重なってしまい、特に土曜はきつかった。ロングビーチでのイベントが終わってからは夜のBBQにも誘われ、ウウウッとなったが我慢して名古屋に戻りウエスティン名古屋キャッスル天守の間で「東海高校スキー部50代誕生記念OB総会&親睦会」に出席。昭和39年に私が設立した当時、無理やり顧問をお願いした水野先生が83歳という御高齢ながらお顔は艶々、お元気そのもので御出席頂き光栄のいたり、また現役時代に合宿や大会で何から何までお世話になった都沢先生はわざわざ北海道からおおいで頂き、これまた恐縮。それになんと私が昭和35年からお世話になっている志賀高原熊の湯硯川ホテルの佐藤吉郎社長まで揃い、こんなの欠席出来るわけありませんわね。最近とみに薄くなってきた記憶を苦心惨憺して絞り出し昔話に花を咲かせて盛り上がりました。その日はそのまま伊良湖へ戻り、日曜の朝5時には海に入ってたんだからまあ疲れて当然やね。それに実はこの土曜日もう一つ重なっていたのよ、石井秀明さんが無事?還暦を迎えられそのお祝いパーティーに誘われていたんだけどこういう事情でどうしても千葉まで行けませんでした、これまた残念無念なり、パーティーにはTEDさんも出席されたようでこんなお写真が・・・ハァこんなん見たらまた燃えますがな、石井さんこの写真で拝見する限りますますお元気なようでなによりです、どうかこれからも波乗陀仏の道を究めて長生きしてください、きっとまたお会いできると思うので楽しみにしております。

2020年6月11日 (木)

ミッキー川井

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JPSARealBvoice千倉プロのコンテストディレクターは鴨川のミッキーさんだったのでTAKIさんと御挨拶に。実は僕がサーフィンを始めた1968年初めて乗ったロングボードはTEDでした、次の年に丸井でかったのがBALIBUの7フィート、そしてその次の年どういう関係があったのかMALIBUをうまく購入できるつてがありMALIBUのカタログを見て選んだのがカワイモデルのツインフィンだったんですよ、これも選んだのはとっても不順で当時乗ったS600のドアにくっつけるのには一番短いボードが良かったからなんだけどこんな不思議なご縁がありました。その後85年だったかなJPSABaliHighCupをやることになりミッキーさんにも会ってたんだけど今回はそれ以来かな、同じ1948年生まれ、ミッキーさんは早生まれなんで学年だと1年先輩だな、還暦を過ぎてから不思議と昔のご縁が復活して深まるようになってきた、何だか人生ってのは面白いもんやなぁ。

人体実験

周りを見渡してみても私より年上のサーファーに会うことは殆どないほど珍しい、昨日も海で話してたけどマウンちゃんはまだ寒いから海へ来てないしねぇ、つまり何が言いたいかと言うと先人の例が少なくて参考に出来ないってこと。こういう年齢のサーファーがどんな感じで続けられるのか、体力がどういうふうに落ちて行くのか、何歳ごろから大きな波に乗れなくなるのかとかね、普通のスポーツだったら大勢の先輩方の生き方を見ればそれとなく想像がつくってもんだけどサーフィンは残念ながら歴史が浅くてこのあたり一番の弱点だ、ということで実はこうして日記を書いている事自体が自分の体を使った実験報告のようなもんだと思い、後に続くサーファーの方々の参考にでもなれば良いかなと、今年に入っても冬場充分にサーフィン出来たし、まだ波が大きくても何ともないんだけど、一番感じるのは疲労の回復が遅くなったことかな、たしか先週の木曜は8時間連続で入っていてそれ自体は何ら問題ないんだけど次の日に疲れが残ってた、昨日は5時間強だったんだけど海から上がって直行で自宅に戻ってそのまま工事の立会までは良かったけど、それが終わったらストーンと自然に眠ってしまい、気がついたら4時間にも渡るお昼寝をしてしまった、結局夜も良く寝たんで合計すると12時間も寝た事になる。まあおかげで今日は疲れが残ってないけど若い時はこんな事なかったから少しは年を感じてしまうこの頃です、でもまだサーフィン自体には問題ないんでまだまだ後10年は行けそうかもね。

10年・15年先

皆さんも同じでしょうけど若い頃は自分の10年・20年後の事なんてあまり考えた事なんかなかったです。人生の折り返しを過ぎて来るともうそろそろ終盤なんでいやでも考えないといけなくなってきます、昨日後10年はサーフィンやりたいと書いたら北村さんから「『サーフィンはまだまだ後10年は行けそうかもね…』っていうことは… 伊良湖カメラマンもあと10年は頑張らないといかんですね。75才のカメラマンが 71才のサーファーBaliHighさんを激写となる訳ですね。しかし… あと10年なんてすぐ来ちゃうから… プラス5年して、お互い あと15年頑張りましょう。ぅわ 80才だ~ 」頑張って後15年続ける事が出来たら80歳の北村カメラマンが76歳の私を撮影することになっちゃいます。こりゃまったく想像も出来ません、でもたしか静波の清水さんはとうの昔に70過ぎておられてサーフィンもビールも現役ですからやってやれないことでなないはず、運良く病気にならず長生きできたら本当に実現するのかもなぁ・・・・・

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何とも懐かしい写真を2枚、ロバート・オーガスト時代の合宿での集合写真、奥の僕も若いし中段の二人は当時BaliHighのライダーだったマカハの若手、手前は左から甲太・大騎・良子と今をときめく若手プロ、時代を感じるなぁ。これって何年前なんだろか?多分7~8年前だとは思うけどなぁ。

ASP Judging Criteria 2010





ASP世界ツアーは、今シーズン大きな変革が数多く既に発表されたが、その代表がASP Judging Criteria(審査基準)が2010年の最新改正版に含まれ、サーフィンの著しい未来への進歩を象徴するものである。
「サーフィンが未来に向けて常に著しく成長を遂げる中、サーフィンの最高位に対して審査をするべく為に、今回もASP Judging Criteriaが2010年に最新版として改正されました」とASPヘッド・ジャッジ、ペリー・ハチェットが語った。「2010年度のクライテリア(基準)の改正された箇所は、全て最高水準のジャッジ達と世界最高峰のサーファー達と協議した上で改正されました。」
2010年シーズン以降のASP Judging Criteria(ジャッジ基準)は以下となる:
ASP Judging Key Conceptsに沿い最もポテンシアル的に高いスコアを得る為に演技するサーファーからは以下の項目が必須となる。
★ジャッジ達は1つのライディングにスコアをつける際は、以下主要項目を考慮して纏めて1つのスコアをつける。
・コミットメント、及び難易度の高さ
・マニューバーの革新性、 創造性及び漸進性
・メジャーマニューバーのコンビネーションの豊富さ
・マニューバーのバラエティーの豊かさ
・スピード、パワー、そして流れの美しさ
★開催地により日々の変化によって、その日のコンディションの変化に従い、常にコンセプトを元に順応力が大事になる。
公式なスケール:
[ 0.0 から 1.9: Poor(プアー) ]
[ 2.0 から 3.9: Fair(フェアー) ]
[ 4.0 から 5.9: Average(アベレージ) ]
[ 6.0 から 7.9: Good(グッド) ]
[ 8.0 から 10.0: Excellent(エクセレント) ]
「改正されたASP Judging Criteria の最終項目の部分が最も重要な部分となる」とハチェットは語った。「サーフイベントは他のスポーツと異なり独得な要素となるが、開催により異なる事、及び異なったコンディションによりサーフィンのスコアは大きく左右される事実をサーファー達及びサポーターの皆さんに更に理解して頂かなくてはならない。例えば、クラシックなトラッセルズのコンディションとクラシックなパイプラインのコンディションでは全く別世界であり、同じサーフスタイルを仮に見せたとしても全くスコアの結果は異なるでしょう。クラシックなトラッセルズでは革新的、かつ未来的なマニューバーに高いスコアが付く確立が高いが、一方のクラシックなパイプラインで最も重要な要素はずばり、コミットメント及び難易度の高さが評価を高くする。」
上記で述べた要素はASPメンズ世界ツアー、ASPウィメンズ世界ツアー、ASP WQSシリーズ、そしてASPプロジュニアシリーズのイベントが対象となる。
上記はショートボードサーキット全般が対象となる、以下のようにASP世界ロングボードツアーでも改正が施される:
ASP Judging Key Conceptsに沿い最もポテンシアル的に高いスコアを得る為に演技するサーファーからは以下の項目が必須となる:
★ジャッジ達は1つのライディングにスコアをつける際は以下主要項目を考慮して纏めて1つのスコアをつける。
・コミットメント、及び難易度の高さ
・クラシック系に加えてのモダンマニューバーとのコンビネーションの完成度
・マニューバーの革新性、 創造性及び漸進性
・メジャーマニューバーのコンビネーションの豊富さ
・マニューバーのバラエティーの豊かさ
・スピード、パワー、そして流れの美しさ
ジャッジは75-25% の割合でスコアを纏める。それは仮にクラシック又はモダンのいずれの一側面のみの技を披露した場合、最高で75% (7.5pts) となる。両面の要素をコンビネーションとして纏めた場合のみ残りの25%(2.5pts) が加算可能となり満点(パーフェクト)が可能となる。インコンプリート・マニューバーはスコアの対象外となり基本的に0点加算となる。
★開催地により、日々の変化によって、その日のコンディションの変化に沿って常にコンセプトを元に順応力が大事と成る事は変わりない。

2020年6月10日 (水)

八丈島・友喜荘

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迷走台風のおかげで今日も波は残っている模様、ここ数日間のロコポイント混雑はちょっと異常だった、様々な波情報でロコポイントだけが飛びけて良い状態であることが知らされ中には○がついたものもあったせいか平日なのに駐車場は大混雑、当然海でもポイントパニック、ロコポイントの場合最大の長所でもあるアウトへの出易さが逆に今回のような状況では弱点となってしまう、流れも弱かったせいか誰でもアウトまで簡単に出てしまう為、普段では見たことの無い顔ぶれが多く、当然のようにポイントに慣れていないせいで状況判断が出来ないからか危険な場面も数多く見受けた。特に今回のうねりではセット待ちが長い為にピークを移動する事が多かったのか、急にセットが入ったりすると慌ててゲットに向う例が多く、私から見てると危険な状況が多すぎたように思う。今回何度も見かけた大沢プロも同じように考えたようなんでそちらも見てもらいたい。波情報で○ならそこへ行きたい気持ちは判るがあの状況で良い波をゲットできる可能性は極めて低いと言わざるを得ないのでかえって練習にはならないんじゃなかろうか?特にロングボードの場合よほどの技量がないとあのショート集団に向かってテイクオフする自信は生まれないと思う、もしあの状況でパーリングでもした日にはボードがその集団に突っ込むわけだからこんな危険なことはない、実際に現場で見ていてもそれに近い状況を見かけた、今回の台風の動きが鈍いのでこの波はまだまだ暫く続くはずだか、どうかトラブルが起きる前に良く自分の技量を見直してから海に入るよう、技量にそぐわないピークには決して行かないよう心がけてほしい。サーフィン上達の秘訣はただ波に乗ること、無理して乗れないポイントで浮いているよりワンサイズ落ちたり多少波質が落ちても空いていて乗る回数が多いほうが間違いなく上達が早いことを肝に銘じてサーフィンをしてください。

混雑

Konnzatu

迷走台風のおかげで今日も波は残っている模様、ここ数日間のロコポイント混雑はちょっと異常だった、様々な波情報でロコポイントだけが飛びけて良い状態であることが知らされ中には○がついたものもあったせいか平日なのに駐車場は大混雑、当然海でもポイントパニック、ロコポイントの場合最大の長所でもあるアウトへの出易さが逆に今回のような状況では弱点となってしまう、流れも弱かったせいか誰でもアウトまで簡単に出てしまう為、普段では見たことの無い顔ぶれが多く、当然のようにポイントに慣れていないせいで状況判断が出来ないからか危険な場面も数多く見受けた。特に今回のうねりではセット待ちが長い為にピークを移動する事が多かったのか、急にセットが入ったりすると慌ててゲットに向う例が多く、私から見てると危険な状況が多すぎたように思う。今回何度も見かけた大沢プロも同じように考えたようなんでそちらも見てもらいたい。波情報で○ならそこへ行きたい気持ちは判るがあの状況で良い波をゲットできる可能性は極めて低いと言わざるを得ないのでかえって練習にはならないんじゃなかろうか?特にロングボードの場合よほどの技量がないとあのショート集団に向かってテイクオフする自信は生まれないと思う、もしあの状況でパーリングでもした日にはボードがその集団に突っ込むわけだからこんな危険なことはない、実際に現場で見ていてもそれに近い状況を見かけた、今回の台風の動きが鈍いのでこの波はまだまだ暫く続くはずだか、どうかトラブルが起きる前に良く自分の技量を見直してから海に入るよう、技量にそぐわないピークには決して行かないよう心がけてほしい。サーフィン上達の秘訣はただ波に乗ること、無理して乗れないポイントで浮いているよりワンサイズ落ちたり多少波質が落ちても空いていて乗る回数が多いほうが間違いなく上達が早いことを肝に銘じてサーフィンをしてください。

リーシュ

Rishu

当然ながらサーフィン始めた頃にリーシュはありませんでした、いつ頃から見かけたかもあまり記憶がないけど、多分伊良湖に戻った頃からじゃないかな、最初は試行錯誤で自転車の荷台のゴムひもつけたり、ゴムそのものもあったし、もう危険そのものボード飛ばしたりするととんでもないスピードでゴムパッチンみたいに戻ってきて大変だった。その後ショップにゴムチューブの中に紐が入ってて伸びるのを抑えるようにしたりしてた、当時はパワーコードって言ってたような。現在ではサーファーの必需品ですね、リーシュコードは決して命綱じゃありません・・・が、しかしでかい日にこの一本で助かることもあるんです、実はこの真逆もあってマーク・フーの事故は当時のリーシュがリーフに巻きついたせいとも言われていてその後改良されたよね。そんな訳で普段使うリーシュはコンペタイプの一番細いのを飾りのように使ってますが、台風の時は毎回気をつかってます。昨日のような日、波の状況ではどんなにボードをキープしようと思ってもブレイクした波のパワーにはかないません、時には巻かれてボードを離す場合もあるし、一番ヤバイのは真上にリップが来そうな時、ボードのセンターに直撃したら間違いなく真っ二つに折れるからこんな時はボードを岸側に向けて上に投げてリップを交わす、そうするとボードは助かるけど自分は・・・この時点でリーシュが切れると体は海底まで押し付けられてまず上がって行けない、グルグルと巻かれながら耐えるしかないし、事故に繋がらないとも限らない、リーシュが切れていなければボードの浮力で海面が判るし、コードを伝って海面に出ることも出来る、まさに頼もしい友人って感じかな。台風の時に使うリーシュは特別に太いもので日本ではまず手に入らないので毎回ノースから持ってきてもらいます、長さ10フィート、コードの直径は8mmもあるんです、それでもコードの劣化がイヤなんで長くても2年程で新品に交換、台風でしか使わないから出番は多くても年に10回程、まさに頼もしいかけがいのないお友達です。

レジェンドクラス

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最後に自分の事でなんだか気が引ける・・・実は昨年還暦になってから今後のサーフィンライフに関して考える事があまりに多かった、しかしそんな事を吹き飛ばしてくれるような出来事が今シーズンになって2回も起きてしまう。一つは正に目の前でWLTを見たこと、世界のロングボードのレベルを間近で見た興奮は口では言い表せない、しかもペリーヘッドジャッジの言うようにサーフィンにはロングもショートも関係ないってのも効いた。その興奮が冷めない時に今回の大会に間に合うよう無理にお願いしてケニーさんに削ってもらったボードがマジで最初の一本目からハッキリと判るマジックボードでこの時点で既に勝つことを明言してしまったのだ。しかも大それた目標を立てて自分を奮い立たせようとしてしもた、つまりどうせ勝つならハッキリした形で勝ちたいということ、よくアウェーの時にやることなんだけど今回は地元でありながら完全な勝利を目指してしまった。目標は2本のライディングをエクセレントとグッドでまとめトータル15点以上取ることにした。当面のライバルとなる正さんはいつもの試合運びからグッドを2本まとめて来るのは覚悟していたし、去年優勝のTAKIさんは去年のようなリエントリーが決まるとエクセレントが出る確率が高かったのでこの目標は今考えると当然の事だったのかも。ファイナルが始まってみるとどうした訳だかTAKIさんがインアーリーを犯してしまい、スタート時点でピークにいないというハプニング、岸から遠いBポイントでこれは致命傷となり早々に戦線離脱となった。私は一本目をレギュラーに走るもクローズセクションになってしまいリエントリーも失敗し、この時点でグーフィーに的を絞った。伊良湖の皆は知ってるけど実は僕はグーフィーというかバックサイドが大の苦手でたまにロコポイントでグーフィー乗ったりするとビックリされるほどだ。たしか今までもグーフィーの波で勝った記憶がないほど、しかしこの日はそんなこと言ってる場合じゃなかったんで3本目から最後の6本目まで全てグーフィーに乗るはめになった、しかしこれぞ年のせいか妙に自分でも落ち着いているのが判って自信もあった、最初のグーフィーでまあまあのライディングが出来これが6.33、勝負を掛けた次の波では途中レギュラーに戻してから最後のリエントリーまでしっかりと決まり8.17の高ポイント、目標の15にはホンの少し足りなかったけどほぼこの時点で勝利を確信できた、最後の波ではちょっと恥ずかしながら両手を挙げてポーズ取って戻ってきちゃいました。まあ普通なら完全にブーイングの嵐だろうけど、なんせ還暦過ぎたサーファーのやることなんだから大目に見て頂戴。この調子で次ぎは伊勢での勝利を狙いますよ。
レジェンドクラス(60歳以上)
優勝 武藤 恒志(BaliHigh)14.50
2位 鈴木 正(GODDESS)10.33
3位 高橋 宜成(TAKI)6.67
4位 鈴木 捷吾(GODDESS) 5.84
撮影 北村守

2020年6月 9日 (火)

短い夏

Yoshitaka1 Yoshitaka2

2009年8月25日 (火)

今朝は水が少し冷たくて海パンにタッパ
朝の海パン1枚の夏は終了なのか
海パン1枚の時期が短かった今年の夏
今日はあまりのれませんでした。
※写真は波がいいのでサーフィンスクールを放っぽらかして自分だけ波にのりまくって遊んでいる
  某レジェンド     (暇そうに浜に座っている3人がスクール生で1人はご子息) 
 サーファーの鑑 のような人っす 
伊良湖 徒然波日記

2020年6月 8日 (月)

「伊良湖・レジェンドサーファー“BaliHighの武藤さん”に突撃インタビュー! Final」  BaliHigh 武藤さん

Y: 武藤さん、80年代から90年代の間はどっか違うとこに行かれてたんですか?一時伊良湖で見んくなったんですよ。
武藤さん: 俺ねぇ、ものすごいショックなことがあってさぁ、ちょっと落ち込んで・・・86年かなぁ。85?87かな。浜松の全日本でさぁ、浜松の第27回の全日本があったときに、ショウゴさんが結果的には勝ったんだけど、前予想で「100%俺の勝ち」って言われてたの。始まる前まで、もぉ前日の練習でも段違いで僕が勝てるだろうって話をしてて、そう思ってたの。そしたら舞阪がぁ、急にクローズしちゃって、で、予選当日急遽「新居」に変更になっちゃって、新居がさぁ、ちょっとワイドなダンパーだったの。

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Y: えぇ。
武藤さん: で、こっちが悪いんだよ。僕がルールを誤解しててぇ、フェイントかけたのね。僕が奥におって、俺の肩から乗ったヤツがおってさ、乗せちゃったんだよね、そいつを。で、俺が奥から後からいけばあいつはやられると思って、したら僕がインターフェアーだったの、あの頃は。スタンディングファーストで。
Y: あの頃は先に立った方が勝ちだったんだ。
武藤さん: で、俺はピーク優先っていうのがずーっとあったの。それでさ、妨害取られて、僅差で一回戦落ちたんだわぁ。そん時ね、子供が産まれたばっかりで、その子供連れてってたのね。で、間違いなく俺ここで勝つからって。そしたらそれイチコケしちゃって。それでガクっとモチベーションが落ちた。
Y: ほぉぉ~。
武藤さん: それがちょうど88年頃だった。で、バブルでコーっなりかけててぇ、ウチも丁度こうなりかけてて、でゴルフ始めて、で海行かなくなったね。それが何年か続いた、本当に。
Y: 見んくなりましたもん、一瞬。
武藤さん: もぉそいでショートはいいや、とここで思っちゃった。でその頃、ナガイに頼んで今で言うファンボード?を乗るようになったんだけど、それはそれで動かんからつまんないしぃ。中途半端だから。で、海行かなくなってぇ、年に一回かニ回しか行かなくなったわ。
Y: ふぅぅ~ん。
武藤さん: そういう意味では、一旦離れた、かな。どぉえらいショックだったもん、それが。自分では。
Y: フヒヒヒヒ。
武藤さん: 滅多に僕、勝つ確信があるなんて言わないしぃ、でもその時はあったんだよ、絶好調だったしぃ。言っちゃ悪いけど、で挙句の果てに勝ったのがショウゴさんじゃーん。「ウワァー」っと思うじゃんねぇ。それからねぇ、やっぱりジャッジを覚えなきゃいかんと思ったモン。

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Y: あー、なるほど。
武藤さん: 知らんほうが悪いと思ったもんね。そん時ナガイが応援に来とったんだわ、タオル振ってさ、ビーチから。で「やめろー」って言ったらしいわ。でも見とれへんもんでさ、こっち。上がった途端に怒られたもんね。
Y: そぉかぁ~。。。。
武藤さん: それが88年。それから2~3年はバブルと重なって、ゴルフに狂ってましたね。
M: それはぁ、お子さんが幼稚園の頃?
武藤さん: そぉだねぇ、子供がちょうど幼稚園・小学校の頃だねぇ。
M: 今、お子さんもぅお幾つなんですか?
武藤さん: 今大学生だからぁ、もぉあとちょっと。あと一年?そしたら後は海に住めるかもしんない。
M: 住んじゃうんですか?(笑)
Y: ワイキキのさぁ、ラビットさんみたいに時間になると現れてぇ、でヒューっと消えてぇ。
武藤さん: いーよねぇ~。
Y: で、また次の日現れてぇってなるんだ。
武藤さん:だってさぁ、今海でシェアしてるのは六人だけどぉ、毎週10人くらいで寝泊りして合宿してるじゃんねぇ。朝から晩まで自炊してさぁ、ホンっと面白いよ♪みんな50歳過ぎててさぁ~。オジサンがさぁ、洗いモノして、ホンっトにもぉ子供みたいだもんねぇ、みんなぁ。ライバルもいっぱいいるし、楽しいよぉ~!

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武藤さん: それも良かったらぜひ、楽しいよ♪前の日にシンポジウムとパーティーがあって。
M: 面白そぉ~。
武藤さん: ナット・ヤングとぉ、マクタビッシュも来るって言ってた。
M: えぇ~っ!!??ナット・ヤングが来るんですかぁ??
Y: へぇぇ~。
武藤さん: ランディはぁ、こないだ一応会ったんだけどぉ。
Y: ランディさん、丁度もう~来るんじゃないですか?
武藤さん: そぉ、だから丁度会うみたいで。タダシさんが、会うには会うみたい。
Y: ヘヘヘヘ~。
M: ナット・ヤングって、めちゃくちゃ上手いですよねぇ!
武藤さん: 上手いよぉぉ~!ホントに腹立ってきてさぁ~。「あのボードでぇ?」っていうようなBIC乗ってるしさぁ。
M: でもBICに見えないもん。
武藤さん: うん、見えない!
Y: え?「コウボウ筆を選ばず」なんですよ、そこまで来ると。

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武藤さん: BIC扱ってないでしょ?
Y: BICはぁ、注文が入ると、あのサトシのところが代理店やってるからぁ、そこから取るような形ですけど。
武藤さん: あれはぁ、何だっけ。BICジャパンだったけ?
Y: 元はシュリロがやってましたけど、変わりましたか?
武藤さん: シュリロでしょぉ。元々ここがやってて、彼がやってたんだけど、独立してこうなったのかな。だからここがセキノんとこに卸してんだよね。
Y: あ、じゃぁ~、変わったんですね。
武藤さん: でー、ここの内海さんが、僕らと同じ理事やってて。
Y: でもナット・ヤングの話が出たから、ここで。NPO法人で「サーフレジェンド」を作られたじゃないですか。で、武藤さん理事じゃないですか。あれの、その言いだしっぺって言い方は変だけど、そういうのを「しよう!」と言い出したのは・・・?
武藤さん: 指揮は全部タダシさんだよ。
Y: あぁ、そうですか。
武藤さん: そのぉ、僕もなってる理事が、今みんな60歳代になってきて、みんなが俺さっきねぇ言ったのと一緒のこと、みんながおんなじこと考えてて、同じような考えなのね、もぉ60んなるとね、欲がね。あのねぇ、ホント欲がある人にねぇ、欲がない人間がいっくら話したって信じてもらえないんだもん。欲のある人間って、人もそうだと思い込んでるからね。だけどぉ、欲がなくなるとホント、人間ってねぇ、60になるとよく生まれ変わるってホントだと思うけどぉ。
Y: 僕もそう思います。
武藤さん: ねぇ、みんなそう言ってんだよ、いまさら欲しいモノもないし。もぉサーフィンでこぉんないい目させてもらって、今でもこぉんなに楽しくて、こんなにいいことを覚えたんだから、何っかお返ししなきゃマズイんじゃないのって、みぃんな思ってんの。
Y: えぇえぇ。
武藤さん: みんなそうなの、ホントにそぅ思ってる。すごい純粋で、せっかくこんなにいいことを、この歳までやらせてもらったんだから、これをいい形で伝えていくとか、こぅいう出逢った人達の横の繋がりを作るとか、で、もし自分達の立場とか名前とかを利用してお金が出来るんであれば、そのお金をもっといいことに使おう、とか。
Y: えぇ。
武藤さん: という主旨なんで、決して悪くないからぁ、まぁそれはそれで、出来るだけのことはやろうと。で、尚且つみんな現役で、ナット・ヤングと同じヒートでサーフィン出来るんだからさぁ。どぉえらい面白いよぉ!こないだやったけどぉ。
M: それ自体が、スゴイですよね!
武藤さん: そぉ~!それ自体がありがたいんでぇ。
M: 面白いですよねぇ♪
武藤さん: ナット・ヤングと僕誕生日一緒なんだからぁー!
Y: ウッハハハハ!

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武藤さん: でさー、NALUが間違っとって、NALUがナット・ヤングの誕生日1948年11月14日って書いてて、「年号も一緒じゃーん!」って言ってたら、誕生日は11月14日なんだけどぉ、1947年イッコ上なの。
Y: 先輩ですね~(笑)。
武藤さん: 一つ先輩(笑)。までも、マウンちゃんと同じ性格でさぁ、もぉホントに女の子離せへんもんでぇ。
M: アハハハハ。
武藤さん: すぅごいよねぇ~、サーファーって、元気だよねぇ~。
M: ある意味それが元気の秘訣なのかもしれないですよネ☆
武藤さん: ホントそう思う。だから、あれは「世界共通」やね(笑)。
Y: 世界共通・キョウツウ!
武藤さん: まぁそういう人達と一緒にいられるだけで楽しいしさ。
Y: でも結局武藤さんなんかは、最初その、形を作られるじゃないですか。でも、続いて繋げてかなきゃいかんですからね。我々世代の諸先輩方がいなくなったら、何らかで繋げていかないと、人間の歴史ってそういうモンだからぁ。じゃないと、失礼にあたるから。こぉ、元気でやってみえるうちは親と一緒で、「まぁ元気ならやらせとけぇ~」みたいな(笑)。
武藤さん: まぁ、でももぉねぇ、サーフィンが消えるわけでもないし。そのぉ、僕らが海から消える日はあっても、サーフィンがなくなる訳じゃないからぁ、そういう心配は全くないと思うけどね。世代が変わったって、サーフィンの好きな人は絶対いるだろうしぃ、その人達がまた何をするかで、でもそぉんな道から外れたことをすることも無いと思うし。あのー、基本的に海が好きな人に悪い人はいないって信じきってるんでぇ、託しちゃってもいいんじゃないっすか。どぉぞ、やってくださいね~って。
Y: そぉですねぇ~・・・欲かぁ・・・。
武藤さん: 欲はなくなるねぇ。ホンっトにその、何て言うのかなぁ、女性に対する興味~とかはまた別よ。
M: アハハハ!それは別なんだぁ~。
武藤さん: でも物欲は大分無くなるね。
M: 昔はやっぱりあったんですか?
武藤さん: そぉりゃぁあるでしょー!男でそういう欲望が無ければぁ、仕事なんか出来るわけないしぃ。
M: まぁ、原動力の一つで。
武藤さん: 原動力だねぇ、金も欲しい、名誉も欲しい、地位も欲しい、って必ず男はそぉなるだろうし。そぉーゆうのはなくなるねぇ、もぉ。あとはいい波と、いいお友達がいればいいかなって。
Y: ですね。やっぱり欲か。
武藤さん: 急激にねぇ、あのここ2、3年でねぇ、僕なんかは。それまでは伊良湖にしかいなかったし、あんまし歳だしもぉ外にも出ない、海外にも行かないって言ってたのがぁ、急激のその、同年代の横の繋がりが、湘南や千葉のテッドさんもそうだし、タダシさんもそうだし、タダシさんなんかこれだけゴッデスにいたのにね、縁も何にもなかったのにここ数年間でこんなに親しくなっちゃうし、不思議だよねぇ~。
Y: いや、縁って不思議ですよ、武藤さん。色んなことが自分にも起きたからぁ。
武藤さん: 「えー?同級生だったのぉ??」って奴が一杯出てきて(笑)。もぉ大笑いだって、みんな。
Y: 縁って、武藤さん、あれですよ。みんなそれ程感じてないかもしれないけど、結果的に、良縁っていって、縁と縁が繋がっていって、で、自分が晩年を迎えるときに、良かったなと思える人は、いろんなものに支えられて、いい縁に恵まれてくんですよね。でも中にはやっぱり、悪い縁っていうのがあって、そういうものに当たってしまうと、へんな風になる方もあるじゃないですか。
武藤さん: よく分かる。
Y: 赤ん坊の頃って、みんな誰もが一緒じゃないですか。「オギャー」って泣いて。ってしてるのに、でもそれから20年、30年、40年経っていく間になんらかが起こるのは、やっぱり「縁」なんですよね、全て。
武藤さん: おかげさまでねぇ、いい方々に恵まれてねぇ、幸せですよ。
Y: でも武藤さん、あれですよね、武藤さんっていう人を知って30年くらい?ちょうど25年くらいですけどぉ、こぉ、お坊さんみたいな顔になってきましたって言うと怒られるかもしれんけどぉ!「アホか!」って言われるかもしれんけどーっ!
武藤さん: でも欲が消えてきちゃったからね、そぉかもしれん。もぉ後は、ねぇ、そのぉ、どーやって恩返しすればいいか一生懸命考えてんだけど、もぉあのー、大会の方もうまくいってるからいいでしょ。で、チームも、今他の子がやってくれてて、あとはぁ、ジャッジももぅしばらくは何とか頑張って続けます。ジャッジもねぇ、人を育てるためのジャッジだろうしぃ。あとは、今そのライフセービングだけど、犠牲者を出さないこと。
Y: えぇ。
武藤さん:それはねぇ、リアルビーボイスでブライアンなんかと話すじゃん。やっぱ究極はねぇ、サーファーである以上、サーファー全員があの心肺蘇生術が出来るようになること。そぉすればぁ、蘇生の率は一気に上がるから。今ね、ハワイでも日本でも状況は一緒だけど、海から助け出して救急車を呼ぶまでに、最低~でも5、6分はかかるのね。特にロコポイントなんかは、駐車場までが遠いから呼びに行ってなんてやってると10分はかかっちゃうと思うのね。その10分がぁ、もぉ命取りだから。
Y: そぉですね。
武藤さん: その間、心肺蘇生さえしていれば、絶対に意識も取り戻せるし、助かるしぃ、それしてなければ廃人か死ぬか、どっちかだから。
Y: どっちかですね。
武藤さん: それをちょっと、頑張ろうかなと思ってる。頑張ります☆ライフガードを準備できるか、僕達が覚えてそれをするか、AEDなんかもポイントごとに設置できれば一番いいだろうし。あんな高いと思わんかったもん。自分で買って置こうかなと思ったら、一台大体40万って言うからぁ。
Y: へぇぇ~。
武藤さん: 一台40万って、ちょっと考えるよねぇ。
Y: 40万はちょっと考えますねぇ。
武藤さん: だからそれは行政に頼むしかないんでぇ。
Y: でもホント、武藤さん達の世代に、僕らは下ですけど、やっとあれですよね。世代がずっと続くと、認められますよね、スポーツでも何でも。世代がもし若い奴らばっかぁだと、相変わらず「そんなん若いからやるんだわ」で終わっちゃうけど、俺すぅごい感じるもん。
武藤さん: だってさぁ、世間一般のイメージからするとサーファーっていうのは、それこそナンパの道具でぇ、若い子の、ティーンネイジャーの遊びでねぇ、夏だけの、スポーツとしても思われてなかったんだけどぉ、それがもぉ、第一世代が僕たちだとすると、孫まで、三世代で必ず変わるんだって。僕、みんなに言ってんだけど、最初は遊びなんだよね。何でもそぅ、スポーツなんて。遊びなんだけどぉ、これが一世代辺りでスポーツになって、もう一世代でそれがカルチャーに変わってくんだよね。今段々そうなってきてるから、ってか、自然にそう流れてる。
Y: サーフィン知った頃に、一番上で僕らの時代で30歳くらいの人だったもん。
武藤さん: そぉだよねー、上がいないんだもん。
Y: 上がいない!上がいないから「あー、そんなもんかなぁ~」と思ってたし。で、だんだんこぅ離れてく人もいたりしてぇ、で、武藤さんももうじき還暦じゃないですか。そぉするとすぅごい幅が出来てくるからぁ。
武藤さん: それでそぉ、それこそ日本のサーフィンの歴史が50年だからぁ、やっと三世代に入るころじゃないかなぁ、20年20年でいくと。やっとまともに、相手にされるんだと思うよ。今まではねぇ、相手にされなかったと思うもん。
Y: 逆にある程度の年齢の方がいないとぉ、一般社会から見るとぉ、「そんな若い奴がやっとるだけだわ」って。

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武藤さん: そぉそぉ、思われちゃうから。
Y: 言葉悪いけど、見下されるしぃ。
武藤さん: そぉそぉ。それがさぁ、役所だってみんな50代がメインだとしたら、60、70の人がやってるってことが、すっごい影響力を及ぼすからぁ、これから。
Y: そういう人が窓口行くのとぉ。
武藤さん: 全然違うからね~。
Y: 僕らでもどっかのホテルのフロント行くときなんかに、20いくつの時に行くのと今とでは「態度違うなぁ~」って思うもんなぁ。
武藤さん: 役所にさ、二十歳の子が行っても相手にされないって。
Y: 若いだけで。
武藤さん: ホンットに。ま、伊良湖はいい方へいくと思うよ、きっと。恵まれてるもぉん。
Y: じゃぁ、色々お話聞かせていただいて、ちょっと締めますけども。武藤さんにとって、「サーフィンとは」?
武藤さん: ここまで来たら、「人生」になってしまったのかなっていう、感じがします。
Y: 次もし生まれ変わっても、やりたいっすかね?
武藤さん: やりたいなぁ~。海の傍に産まれたいかは別として、サーフィンやりたいなぁ。
Y: ウハハハハ~♪
武藤さん: 生まれ変わるなら、また日本だなぁ。
Y: 日本っすかぁ!
武藤さん: ハワイの海もいいけど、やっぱり日本に生まれなおしてもう一回サーフィンやりたい!
M: へぇぇ~、何でまた日本に?
武藤さん: やっぱり日本好きだもん♪波はねぇ~、間違いなくハワイの方がいいし、他の国の方が恵まれてると思うけど、やっぱりここがいいね。
Y: 武藤さんはあれですね、前世も日本人だったんですね。
武藤さん: お公家さんだったんだよ。
Y: あー!!そんな感じ!
武藤さん: 坊さんかな?坊さん(笑)。
M: ウフフフ~。
武藤さん: ま、でも楽しかったからいいです。ウチの親父は62で死んでるの。その事思えば僕なんか、もぉこれですぐそこまで来ちゃったなぁ~って。ウチの親父、僕の歳ではもう末期ガンだったからぁ、もぉあとどのくらいって、58くらいの時にそうなってたからぁ、それを思えばもぉ僕なんか「おまけ」みたいなものだから。もぉホンットに。
Y: 男はありますよね、自分の父親が死んだ歳を越えるかどおかって。
武藤さん: そぉね~。すっごいあるよ。
Y: 何か変なモン持ってますよね。
武藤さん: うん。だからもぉ、これから先はおまけだと思うもん。僕がね、この商売やってて一っっ番お世話になった先生も、60で亡くなってるの。ホンットに「これから!」って時に亡くなってぇ、そぉいうの見てるとぉ、「あー、ここまで来れて良かったぁ~」って、つくづく思います。幸せな人生だったなぁ、と。
M: フフフフ。
Y: いや、寿命って、あれですよ。こぉ平均寿命出すじゃないですか、あれ平均であって。
武藤さん: 本当に平均だからね。
Y: わかんないっすよー。
武藤さん: 明日ぁ、いや、ここからビルから出て車に轢かれたら終わりなんだからぁ。
Y: ホントに分からないと思います。
武藤さん: まぁ決まってるだろうとは思うけど。さっきの話で、いい方へ行く人と、悪い方へ行く人っていうのも、決まってんだってぇ。きっと、誰かが誰も知らないところで・・・。来年も、サーフィンやってると思います!
Y: いや、今日は面白い話が聞けた!本当に、どうもありがとうございました!!

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2008.8.29 BELLS吉川さんから受けたインタビュー記事をIRAKO CLASSICに残します。

 

「伊良湖・レジェンドサーファー“BaliHighの武藤さん”に突撃インタビュー! vol.2」  BaliHigh 武藤さん

Y: 存在は知っとったけどぉ、そんなバーっとみんなおる中でぇ、いるじゃん、みんな。そんな中で時の挨拶と、っていうレベルで。
M: その時はもぅロングボード?
Y: いやいや、ショートボード。まだ「タコさん」とかが選手で出てたもん、あの頃。
武藤さん:まだショートでイケイケだったもんねぇ。シゲキ君とかぁ、だからKIKIの頃は、あっ!そこでシゲキ君と会ったんだ!そぉ~だ、思い出した!シゲキ君がぁ。。。
Y: もぉ「トロジュ」やってましたか?
武藤さん: トロジュじゃなくて「TIKI」をやってたの。
Y: 「TIKI」をやってたんだ。
武藤さん: で、タミオがさぁ、ボルトの代理店だったから、ボルトブームになってぇ、売れるようになって、タミオ経由でしか入れないもんで、名古屋の代理店取っちゃったから。で、KIKIに来てたの、シゲキ君が。それで知り合っちゃったんだ、そぉだそぉだ。
Y: そぉなんだぁ~。
武藤さん: 「トロジュ」はそのもっとずっと後だから。
Y: 80年入ってからですよね?
武藤さん: そぉそぉそぉ。それでシゲキ君と知り合って。それまではシゲキ君は知っとったけど、モチロン、あんな怖くてしゃべれんかったもん。隣通ってもさ、シゲキ君どら怖かったんだわ。
Y: ウハハハハ。
武藤さん: そんなしゃべれるような雰囲気じゃなかったもん。
M: お名前はよく聞きますけど・・・今は?
武藤さん: 今?元気よ。サーフィンは全然やってない。
M: 名前はすごく聞くんですけども。
武藤さん: あの頃はね、ゴッデスはヨシオ君もシゲキ君も怖かったってー。
Y: ムフフフフ~。俺が知り合った頃はもぉ大分、シゲキ君が柔らかくなったころだったから。
武藤さん: うーん。本当にさぁ、僕ショップが一定じゃなかったもんで、ターザンやらあちこちと付き合っとったもんで運がいいのか悪いのか知らんけど、ホントに怖かったよ。
M: どんだけ怖い人なんですか?
武藤さん: それはもぉ・・・口では言えないような激しさだった!!
Y: ウハハハ~。
武藤さん: ウチでも今ほら色々いるじゃん、昔のゴッデスの連中もいるし、ロコの連中もエビンの連中も。今みたいに横同士の仲なんか、全然良くなかったもん。
M: へぇぇぇ~。
武藤さん: もぉ、ホントに毎週ケンカで。
M: すごい時代だなぁ~。
武藤さん: でもねぇ、伊良湖はヨシオ君とターザンが消えたことが悲劇なのか喜劇なのか分かんないけど、大きいよねぇ~。
Y: 大きいですね。
武藤さん: その二人が今でも海にいたら、どーなってたかなって、想像もつかないね。
Y: 影響力あったもん。
武藤さん: うん、ものすごいあったし、逆に二人が今頭にいたら、今上にいる人達がすっごい抑えられてると思う、ね、当然のように。
Y: 今いたら、きっと“老中”みたいになっとるね、“井伊直弼”みたいに(笑)。
武藤さん: BaliHighカップの頃にはヨシオ君は海から離れとったもんね。他に目がいっとった時。
Y: 後はぁ、話を変えますけど。「ロングボードクラシック」をこぅ、流れなんでしょうけど、しようかな~と思ったきっかけは?それとその前に、「伊良湖一番」っていうバリハイチームの前にステッカーを作られたじゃないですか。僕昔もらった覚えがあるんですよ。
武藤さん: 伊良湖ロングボーダーズ、かなぁ?

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Y: はい。あれがまぁ前身になると思うんですけど。
武藤さん: 僕はあのぉ、子供の頃からね、何やるにしても競技志向だったみたいで、小学校時代からスキーの競技をやってるしぃ、スポーツっていうのは=競技って考え方がものすごい強くって、サーフィンも、ショートの頃からずっとそうだしぃ。で、事情があってロングになっちゃったんだけどぉ、ロングになってもぉ一年間は全然テケテケだったけど、次の年からすぐ試合に出るようになっちゃったんだよね。
Y: 他のエリアでですか?
武藤さん: いや、赤羽根町長杯とか。で、すぐ静波の大会に行ったんだわ。で、誰と行ったかも全然覚えてないんだけど、静波の大会に行った時に、結構伊良湖からみんな来てるんだけどぉ、みんなあっちこっちバラバラで、口もきかへんしさぁ。
Y: えぇ。
武藤さん: 今はみんな知ってる子達なんだよ。でも当時は「あ、あいつも確か見たことあるなぁ~」ってのがいっぱいいるんだけど、口もきかないんだよね、みんな。
M: へぇ~。。。
武藤さん: それじゃいけないんじゃないの、みんな?って。だってせっかくさぁ、練習までしてきてさぁ、同じとこから来て仲良くした方がいいんじゃないので、始めたんだけど、最初は。その当時はまだBaliHighってお金があったから、Tシャツ配ったりステッカー配ったり、とりあえず仲良くして、チーム組んで、他へ大会行ったら一緒にテントはろうって話から始まって。で、ずーっと静波の大会見たときに、伊良湖の大会とずいぶん雰囲気が違って、今は流石に止めたけど、その頃は役員も全部酒呑みながらやってたし。
Y: ムフフフフ~。
武藤さん: お昼のお弁当の時に缶ビールもらえたもん。和気藹々で、まぁいい加減っちゃいい加減だけど、それがスゥゴイ楽しかったし、新鮮だったし。あぁ、こぅいぅ大会やりたいなぁっていうのが一つ。
Y: はぁ~。
武藤さん: それと、当時ねぇ、大会っていうと静波行って、みんな上手いのよ。静波はもぉロングの歴史が長かったし、僕らが知ってるのはパンダくらいで回りに上手い子誰もいなかった時代じゃん。で、静波行くとホンっと、だって伊良湖でぇ、ウォーキングやノーズなんて誰も出来なかった時代じゃん。で、静波行ったらメッチャ上手いじゃん。こぉれは伊良湖のレベルはちょっといかんなぁ~ってことで、そぉいうのはもぉ大会やるのが一番だから、上手い人見せればいいわけだから。ショックを与えるしかないんで。それでまぁ、始めようっていうのがきっかけです。
Y: なるほどぉ~。
武藤さん: それと僕、静波行ったときに、静波の人が良くしてくれたし、和歌山勢も来てみんな仲良くやってたから、そういう横の繋がりも大会やれば深めることができるし。
Y: あいみたがえ、みたいな。
武藤さん: そぉそぉ、交流を深めるのもいいしさ。ま、みんなに上手くなってもらいたいショック療法と、交流を深めるために始めたというのが、きっかけかな。
Y: いいですね。
武藤さん: 大会はね、出てる方が楽~。やる方は大~変。
Y: それはもぅ、その通りです。でもロングボードクラシックも11回目だからすごいですね~。
武藤さん: サーフィンはやっぱりねぇ~、続けるの大変だと思うもん。僕は特に、サーフィン止めてった人沢山知ってるしさ。
Y: 続けるのはホントに大変ですよ。

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武藤さん: まともじゃないもん。
Y: でもやっぱり、続けた人と話するとぉ、共通したこと言われますよね。大体こう、ニュアンスは違うけど、「やれてることが幸せ」ってみんな言うもん。
武藤さん: ホントだよ~!ホントに。あのぉ、いいものを、やらせて頂きました。
M: ウフフフ。
武藤さん: まさか、この歳で続けているとは夢にも思いませんでしたよ。
Y: そぉなんだぁ。でも我々の大先輩は、大体みんなちゃんとしてますよね、若い頃はムッチャクチャだったけど。
武藤さん: 今の若い子真面目だもんなぁ~。・・・まだ僕なんかはおとなしい方だもんね。
Y: だってこないだもこぅやってジョージさんとこに行って来たんですけど、ジョージさんもやっぱりおっかなかったですもん。
武藤さん:ハチャメチャだったよね。
Y: ワーっ!っと思っとったけど。
武藤さん: ジョージさんもこっちに一年おったんだよね、ゴッデスの店番やっとったっていうから。
Y: そぉですね、ライダーしてましたからね。
武藤さん: ゴッデスのライダーやってたんだよねぇ。
Y: 昔のパンフレットにのってますよ。
武藤さん: スピヤンとかコウちゃんとか、よぉ知っとるよ、あの頃のこと。
M: 遠藤さんとも、武藤さんは昔からお知り合いなんですか?
武藤さん: 「イーストライト」やってる頃からは知ってるんだけど。ショップはやってないよね?
Y: 僕は遠藤さんと知り合うのは、あぁいう大会とかに顔を出すようになって、途中からだから、最初の方知らないですね。
武藤さん:僕だって、タミオの店がつぶれた後は、ナガイ君が「カントリーライン」やっとったから、岐阜県だったし。
Y: 誰も知らんよ、そんな古い話(笑)。
武藤さん: でも古い話、色んな人から聞くじゃんね、僕も今日と違って聞く立場だと「えーっ?そんな風だったのぉ??」ってこといっぱいあるよぉ。知らんかった~っていうの。
Y: だって、エビンの兄さんとこも、今の場所の前はぁ、瑞穂の家でやっててぇ、何かぁ「○カゴショップ」って言われとったって(笑)あ、俺が言ったんじゃないよっ~っ!!
M: えー、へへへぇぇ~。
武藤さん: でもあそこも坊ちゃまの集まりだもんねぇ~。それに比べてゴッデスとロコはワイルドだよね。
Y: けど僕がサーフィンに出逢った頃には、兄さんとこと、納屋橋のここ行ったとこにミツヒコさんの三角形のお店があってぇ、フランの兄さんとこと、ターザンとことぉ、ゴッデスはあのあっちのまだ八事の方にあった時で、千種にTIKIがあってぇ・・・そのくらいしかなかったんじゃないかなぁ。
武藤さん: あのタミオ君の記事見てるとあの頃名古屋にまだ4~5軒しかなかったみたいだね。
Y: 恐る恐る入ってったもんね。で、そこのお店のステッカーが貼ってあると何か有利かなぁとか思ってぇ、馬鹿だから色んなとこの一枚ずつもらって、並べて貼っとったんだよ。主体性のない(笑)。
武藤さん: アハハハハ。でもみんな長生きしてるし、大したモンだ。特に僕、最近自分より歳が上の人と付き合う機会が増えたじゃんねぇ。65、とか66、70とか。信じられんくらい元気だもんね、みんな。
Y: でもよく、武藤さんの話になるじゃないですかぁ、僕らの周りでね。

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武藤さん: あぁ~。
Y: 「何であんなに元気なの?」って言って。「何か変なモン食べとるんだわぁ~」とかいう話になってぇ。元気っすよねぇ?
武藤さん: やっぱり好きだからねぇ。海行くの好きだし。
Y: いやぁ~、でも体力って落ちるからねぇ。
武藤さん: あんまりね、あの体力って、使わないと思うよ。僕そぉ、元々筋肉モリモリじゃないしぃ。持続力はあるけど体力はあんまり無いんでぇ。
Y: えー、でもロコの頭半位の波のときにアウトにいるじゃないですかぁ。
武藤さん: その時も体力は使ってないと思うよぉ。そぉ別に踏ん張ってるわけじゃないし、リラックスしてるし、そぉ疲れないもん。
Y: やー、でも若い連中言ってますよ、「元気だよなぁ~!」とかって。

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武藤さん: アウトで波待ちしてるときにちゃんと休憩してるし。
Y: だって、丁度今20代くらいとか30代くらいの子だと、親父が武藤さんと一緒くらいなんすよ。で、自分でも親を見ると、家で寝転んどるぞーとかって(笑)
武藤さん: 好きなことがあるからじゃないの。
Y: う~ん。
武藤さん: お蔭様で、ありがたいことに。ただあれだね、タミオの頃みたいに、車で乗り合いしてたとか、ユゥちゃんと二人で行ってたとか、時代もあったけどぉ、今はもぉ誰とも一緒に行けないのよ。その、時間が合わないんだよね。僕と一緒の時間海入っとるやつ誰もおれへんしさぁ。
Y: あー、帰らなかんかったりするし。
武藤さん: そぉ。二時間で出てくるなんてイヤだしぃ。だで、そぉいうのが続いて、一人でしか行かなくなっちゃったんだけどぉ。波のないときは、別に一時間でも二時間でも出てくるけどぉ、ホントにいい時なんて、もったいなくて上がれないよね。
Y: うーん。

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武藤さん: あとこんな波、いつ来るか分かんないって思うと、消えるまで入っとろと思うし。
M: アハハハハ♪やっぱりぃ。。。
武藤さん: もったいないよねぇ?そら仕事があるんだったら別だけど、仕事がないんだからさぁ、俺の場合。
M: あれ?今の発言は??
武藤さん: だって、仕事なんてこっちから働きかけてなんぼだから、やらなきゃやらないで済んじゃうし。別にいつの時間に帰って、誰と会うってそんなんじゃないからぁ。
Y: 楽しみがある、ということが何よりですね。
武藤さん: ストレスがないからぁ、元気なのよ。サラリーマンに比べたら、ホンとストレスないもぉん、悪いけどね。
Y: でも昔サラリーマンやられてたとき、あるんですよね?
武藤さん: サラリーマンってさぁ、昔その和歌山に行かされてたときね。
Y: それはサラリーマンだったんですよね?
武藤さん: で一年後に名古屋に来たじゃん、一年後だよ。何も分からんのに「責任者で行け」って言われて、行ってすぐ部長になっちゃったんだわ。
Y: そぉれもすごい会社だなぁ!
武藤さん: 営業部長でさぁ。ほいでさぁ、新入社員の面接の時に俺スケートボードで飛んでたんだわ。その子「もぉ帰ろう思っとった」って言っっとったけどぉ。
Y: ホントォ、「ここはマズイ!」と思って(笑)。
武藤さん: 「僕こんなとこ来たらいかーん」って。だからホントに、人に使われて嫌な思いとか全くないもんね。そんなんだったらすぐに辞めただろうし、その会社を辞めて30で独立してそれからはずっと一人でやってるから。30でぇ、多分五月か六月に店開けてるからぁ、その年の八月から、今に至るまで30年間ずっと夏休みだから、八月は。
M: 毎年?

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武藤さん: 毎年~。
M: 30代の頃から続いてたんですね(笑)。私はてっきり私が知る少し前から、八月は夏休みを取られてみえるのかなぁ~、なんて思ってたんですけど。
武藤さん: いや、30からずっと。でも最初は結構キツかったよ。
M: やっぱり?
武藤さん: よくバッシングされたけど、今はもう全然なんともないね。昔は「一ヶ月休む」って言ったら「バカ!!」って言われた(笑)。
Y: そりゃぁそぉだと思うよ~。
武藤さん: 30年前は。今はねぇ、僕らの業界でも一ヶ月休みとかは普通になっちゃった。・・・海行くために働いてんだから。
M: アハハハハ~。
武藤さん: 今年はロングボードクラシック、70歳の清水さんって今静波に、昔伊良湖にいた人なんだけど、エントリーしてこられました。
Y: へぇぇ~!すっごぉいねぇぇ~!!
武藤さん: そぉ~、半端じゃないよ、あの人上手いの。
M: あ、見た見た。

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武藤さん: そぉ、雨の中優勝してたじゃんねぇ。
M: でも70歳に見えない!
武藤さん: 見えない見えない。ビックリしちゃったもん、俺イチコケしちゃった年でさぁ。
Y: へぇぇ~、70っていうと、武藤さんより一回り上?
武藤さん: 一回り上だねぇ。だからまだまだイケルよ、こっちも。
Y: そぉ思えてくるよねぇ~。
武藤さん: そういう人がいるからいいよね。
Y: 「お前なんかまだまだだわ」って言われちゃうよね~。
武藤さん: 「なにが一回りしたがっ」って言われちゃうもんでぇ。でもそういう人がいればさ、「なぁんだ出来るんだ」と思うじゃん。
Y: そぉだねぇ~。
武藤さん: 伊良湖だって海行きゃ、いっつもマウンちゃん65でさぁ、年金もらって海来とるしさぁ。
M: 私達からすると、そういう世代の方達が元気でやってらっしゃると、自分達が元気ないってダメジャンって、ねぇ。
武藤さん: タダシさんだってもぉ66だよぉ、あれで。
Y: 若いっすねー!僕らと同年代って言っても通用するかもしんない。
武藤さん: 波ありゃ毎日入るしさぁ。
Y: やっぱりあれだね、皆サーフィンやった方がいいね。
M: フフフフ~♪
Y: そうするとぉ、元気だってことは医者に行かんってことだもん。医者代かからんってことだからね。あれものすごいかかるからね。
武藤さん: あのぉ、漁師さんって長生きするじゃんねぇ、元気で。やっぱり潮風がいいんじゃないの?今は紫外線がなんだって言うけど、漁師さんは真っ黒じゃんねぇ。でも元気だから大丈夫なんだよぉ~。
Y: あんまり聞いたことないもんね、漁師で紫外線にやられてって。。。
武藤さん: 逆に気を使いすぎで、気を使ってストレスでそぉなるだけで。
M: じゃぁ、もしぃ、武藤さんからサーフィンを奪っちゃったら、死んじゃいますかね?
Y: 死んじゃうよぉ。
武藤さん: 気が抜けちゃうだろうねぇ・・・。想像もつかないけど、今は。
M: では、逆に、今サーフィンをやれているっていう現状に、幸せを感じているということなんですよねぇ。
武藤さん: すーごいありがたいと思ってるねぇ。あの、ここんとこスゴイ怪我が多いから、毎年骨折したり肉離れしたり。で、一ヶ月くらい離れると、また新鮮でねぇ、出来ることが嬉しいと思うよ。
Y: あぁ、逆に、ですよねぇ。
武藤さん: でもこないだでも怪我してて入れなくても海には行っちゃうし、海見てるだけでもいいしさぁ。やることは、いくらでもあるもんで。
Y: 目指そう!うん!!

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武藤さん: 年寄りはねぇ、元気なのが一番!
Y: だって、我々が武藤さん達を抜くには、武藤さんがやめちゃってから一年かニ年余分にやんないと、抜けんってことだからね。
武藤さん: ハハハハ。まぁ、清水さんは特殊だと思うけど、だけどぉ、日本の場合はそれより上の人がいないわけだからぁ。
Y:高橋さんは、お幾つなんですか?
武藤さん: 太郎さん?67じゃないかな。
Y: あ、その方よりも上なんだぁ~。
武藤さん: 太郎さんが日本で一番最初にサーフボードを作った人だったからぁ。全くのパイオニアだからなぁ。
Y: 「ダックス」ですよねぇ。・・・そぉかぁ、70幾つが今の日本の最高齢なんだぁ。
武藤さん: ちょっとそれは、タイミングがずれて歳取ってから始めたってだけで。
Y: いや、一緒ですよ。例えば15で始めてもぉ、30で止めちゃえば止まっちゃうから。続けることがいかに難しいかだからぁ。難しいっていうより、段々尊くなってくんだよな、段々ダンダン。
武藤さん: 今さぁ、僕色んなの見ててもさぁ、一番問題なのが、子供がぁどぉかな、小学校くらいになった頃かな。なっかなか行けなくなるよね、土日なんか色んな行事があったりとかさ。どっか連れてかなきゃいかんとか、ウチもそうだもんねぇ。
Y: 時間は限られてますからねぇ。
武藤さん: そぉ。そこで離れてもぉ戻れなくなっちゃうか、あるいは他に面白いこと覚えちゃうかぁ・・・そぉいうのもあるだろうしさぁ。僕だってゴルフに溺れた時代もあるしぃ。でもやっぱり海が良かった、とりあえず離れてなかったから、回数が減った時期はあるんだけど、バブルの頃に。でも行かなかった年はなかったもんねぇ。

2008.8.29 BELLS吉川さんから受けたインタビュー記事をIRAKO CLASSICに残します。

「伊良湖・レジェンドサーファー“BaliHighの武藤さん”に突撃インタビュー! vol.1」  BaliHigh 武藤さん

伊良湖でサーフィンをしていて、この方の名前を聞いたことがない、という方はまずいないのではないでしょうか?ショートボード時代から現在のロングボードに至るまで、伊良湖をこよなく愛するレジェンドサーファー「BaliHighの武藤さん」に突撃インタビューさせて頂きました☆
私達が知る由もないような、面白ぉ~い昔話も沢山出てきます♪♪3回に分けてお送りいたします。伊良湖を愛する皆様、サーフィンを愛する皆サマ、どうぞお楽しみくださいませ~*^▽^*

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吉川(以下Y): では、お願いいたします。
BaliHigh武藤さん(以下武藤さん): お願いしま~す。
Y: 皆さんにお聞きしていることなんですけど、えー、「きっかけ」なんですよ。波乗りに出会って、「サーフィンやろっかな」と思われたのがお幾つのときで、例えば何かを見たとか・・・みんなきっかけがあるじゃないですか。「女にモテそうだ」とか。
武藤さん: 僕はぁ~、1967年に東京の大学に入って、でね、記憶が定かじゃないから色々調べたんだけど、やっぱり入った年の夏休みはぁ、こっち帰ってきて、一ヶ月間運転免許を取ってたんだね。
Y: はい。
武藤さん:自動車学校通ってぇ。
Y: えぇえぇ。
武藤さん: だから多分、その年はあり得ないんで。始めたのはぁ、1968年になると思うんだけど。
Y: はい。
武藤さん:名古屋の高校から一緒に行った何人かが同じ大学に入ってぇ、で大学の近所の喫茶店でたむろしてたの。まださぁ、東京行っても名古屋の人間は田舎モンだから相手にされないってんで、ついつい名古屋の連中とつるんでたのね。
Y: えぇえぇ。
武藤さん: そしたらそのうち一人でさぁ、名古屋の「名古屋マッチ」ってマッチ屋さんの社長なんだけど、今は。その子がぁ、TEDのロングボードをどこかからか買って来ちゃったんだわぁ。車もないんだよ、何にもないんだけど。
Y: へぇ~。
武藤さん: で、ロングだから当然それを。。。
Y: え、それは名古屋でですか?それとも東京で?
武藤さん: 東京トウキョウ。東京の高田馬場の喫茶店にさぁ、こーやってぇ。
Y: えぇえぇ。
武藤さん: 当然その頃、僕ら6畳一間の下宿だからさ、置いとけないってんで。
Y: 神田川の世界だ(笑)。
武藤さん: そぉそぉ、風呂もトイレもないっていう。
Y: へぇぇ~。
武藤さん: で、その子もそういう部屋だったもんで、そのボードはその喫茶店に置かせておいてもらってぇ、で、車もないもんで、またそれも名古屋のヤツなんだよぉ。今、名古屋の藤が丘でケーキ屋やってる子なんだけど、その子がその当時東京の会社に就職してぇ、「ACE」っていうアパレルの会社に入って営業だったもんで、ハイエースの小さいのって何て言ったっけねぇ?
Y: ライトエース!
武藤さん: ライトエース!
Y: 俺分かるもんなぁ、その当時のライトエースって(笑)。
武藤さん: その頃のライトエースはACEってこう書いてあってさ、営業車で。そのライトエース、会社のをパクッて来てぇ、で皆で一回海行こう!って言って。もちろんウェットも無しだよね。それがきっかけで、そのボード買った子と、僕と、その今はケーキ屋さんのそいつと三人で、68年の、多分夏~前だと思う。寒かったし、ウェット着とったもんで、周りの人は。
Y: はい。
武藤さん: で、七里行ったのがホントに初めて。で、その友達が何でロングボードを買ったのかは未だに分からん。本人も分からんって言っとるし。
Y: じゃ、初デビューは七里ガ浜だったんですねぇ。
武藤さん: 七里ガ浜。で、リーシュも知らない、ワックスも知らない。
Y: 多分~、兵頭正和さんに聞いた時代の話だけど、あそこがまだ一車線でぇ、今みたいにあんな広くない頃ですよね?
武藤さん: そいでねぇ、僕達の大学の体育会の「馬術部」っていうのがあってぇ、そこの馬場が七里の上にあったのよ、ドロップアウトの上に馬場があって。よく昔七里を見ながら走ってたんだけど。
Y: へぇぇ~。
武藤さん: で、その馬術部の子の友達だったもんで、知ってたみたいだね。七里、あそこでサーフィンできるっていうのを。
Y: ほぉ~。
武藤さん: それで行って、駐車場に停めてぇ、三人でよっさよっさ行ったんだろうねぇ。で、入ってぇ、どぉだろう。一時間もせん内にぃ、スケッグがリーフに当たって折れちゃってぇ、それっきり。もぉそのボードは。修理するところも分からんしぃ、どーしていいかも分かんないから。
Y: へぇぇ~。
武藤さん: んで、その時行った三人の中で、買った子はすぐもぅそれでギブアップしたかな。で、その今ケーキ屋の子はぁ、もとからただ運転手で来たもんで興味がなくてぇ、僕だけが、残っちゃったんだよねぇ~。。。何でか分かんないけど。
Y: へぇぇぇ~。
武藤さん: で、その年だと思う。その年にもぉサーフボード買いに行ったもんね。新宿の「マルイ」へ行って、当時月賦はマルイしかなくってぇ、
Y: えぇえぇ。そうですね。
武藤さん: 赤い7フィートの、当時ちょっと短くなってきたときの走りだったから、5万円で買ったのが最初で、ウェットも、ダイビングショップへ行って、ビーバーテールの分厚いヤツを一枚買って、で、もぅ次の年から夏は御宿にずっといたもんねぇ。
Y: 5万円っていうと、当時大学卒業の初任給が3万円ですよねぇ?
武藤さん: 3万円。
M: えぇえぇ~っ!高ぁぁ~い!!
Y: 今で言うとぉ。。。35万円くらいしますよね。
武藤さん: それでさぁ、5万円を10回払いで一回5千円だけどぉ、当時その5千円が払えんかったもん。
M: アハハ~。
Y: フッフフフフ。
武藤さん: で、その次の年だよね、69年かなぁ。御宿でバイトしながらぁ、夜バイトして昼間ずっと海に入ってた。御宿から鴨川までウロウロしてさぁ、全然サーフィンなんか立てないんだよ。
Y: ふむふむ。
武藤さん: ボード持ってウェット着てたけど、まだヘタッピだしぃ。
Y: ふぅぅ~ん、スゴイなぁ~。
M: なんだか「青春」を感じますね♪

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武藤さん: 夜はネェ~、「じゅうたんバー」で働いてたの。
M: 「じゅうたんバー」ってなんですか??
武藤さん: それも御宿の漁港の横にぃ、知らないんだね、そんな名前の(笑)
M: 知らないですねぇ~。
Y: 先輩だからね(笑)。
武藤さん: 御宿の漁港の横に、あのぉ、昔の伊勢海老の養殖所があってね。
Y: へぇぇ~。
武藤さん: そこはねぇ、一つは港の横で、水も来てるし、その奥に洞窟があってね、何十メーターか。その奥にまたイケスがあったの。
Y: へぇ~。
武藤さん: で、そこの洞窟に、電気引いて、じゅうたん全部ひいてぇ、で靴抜いで上がるバーを作ったんだよ。
M: へぇ~!スゴーイ!!
武藤さん: 格好良かったよー!今あるとスゴイと思うけど、で一番奥にライト当てて。
M: えー、カッコイィですよね~、それ。
Y: へぇぇ~、すごいなぁそれ。
武藤さん: 当時流行ってたんだ、その「じゅうたんバー」って(笑)。
M: でも、当時からハイカラなものがお好きだったんですネ♪
武藤さん: はーい(笑)。
Y: 知らんなぁ~、俺も初めて聞いたな、「じゅうたんバー」っていうのはぁ。
武藤さん: ホントぉ?じゅうたんバーにブラックライトが流行りの時代で。
Y: それが70年代ってことですかね。
武藤さん: そぉだねぇ、40年前だね。それが69年でしょ。で、千葉は一年で止めて、次の年からは普通に東京にいたんだけど、当時僕メインがスキーだったからぁ、秋のぉ11月~3月はもぉずっと山の中で帰ってこないしぃ。当時はやっぱり夏だけかなぁ、海に行たとしても。
Y: 山はスキーだったんですか?

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武藤さん: ほとんどスキーだったねぇ。ほいで、土地感があるのはやっぱ七里とぉ、千葉だけだったかな。両方行ったり来たりして海は行ってた。その年はぁもぉ車あった。そぉいや買った。
Y: はい。
武藤さん:一番最初に「ホンダのS600」でしょ。
Y: はい。
武藤さん:あ、その前に英国車買ったんだ。
Y: ウヒヒヒ。
M: さすが!おぼっちゃま!!
武藤さん: 「ボクソール」ってね、今でもあるけど。まぁ本っとマイナーな車買ってぇ、それもね、10万円。
Y: 10万円かぁ。
武藤さん: その上にボード積んでぇ、後ろにねぇ、「D&S」のステッカー貼ってぇ。で、それは半年くらいで車壊れてぇ。で、その次に「ホンダのS600」を買ったの。
Y: ふぅぅ~ん。
武藤さん: でその時にぃ、マリブを買い換えたんだよ。
M: へぇぇ~。
武藤さん: 今度はね、「ヨネザワプラスティック」と何かのツテが出来てぇ、マリブの板が安く買えるからってんで、マリブのツインフィンを買ったんだよぉ。
Y: へぇ~。
武藤さん: その時ねー、「ミッキー川井モデル」も出ててねぇ、シングルとツインと両方使える、今でいうトライみたいなのがあってぇ。
Y: えぇ。
武藤さん: サイドフィンのツインで使うか、シングルで使うか。フィンを三つ使うって発想が全くない時代でぇ。
Y: あー、もぉ川井さんはすでにそれをやってみえたんだぁ。
武藤さん: そぉ、それにするかぁ~、ホントのツインフィンか、どっちにするか迷ったんだけど、小さいほうが魅力があったんで、ワンサイズ小さいツインにして、それをS600のぉサイドのドアにくくりつけて走ってった、湘南に。
Y: へぇぇ~。その時代で板どのくらいですか?2メーター20くらいですか?
武藤さん: いやいや、100~7、80だった。
Y: もぉそんな短かったんだぁ。
武藤さん: 車の横にだよ、だって二人乗りじゃん、で、女が横におるもんでぇ、置くとこないでしょ。
Y: えぇえぇ。
武藤さん: で、ドアにぃ、ゴムでこやって縛りつけておくの。こぉしてぇ、横にねぇ。
Y: エッヘヘヘー!
M: じゃぁ、こうもぉ無理やりにぃ?
武藤さん: 7~80だから、警察にも何にも言われなかったしね。
Y: いや、昔は言われんかった。今だとすぐ言われるけど。
武藤さん: そぉだねぇ、そんなマリブを使ってたねぇ~。
M: すごーい!
Y: 面白いなぁ~。
M: じゃぁその当時はもぉ、女の子を連れて海へ。。。湘南ボーイですねぇ~♪
武藤さん: そぉ。
M: それはもぅ、学生時代?
武藤さん: 大学生の頃ね。で、僕は頭が良かったから大学6年間もおったんだわ。
Y: ガッハハハハ!
武藤さん: 最後は確か一単位だけ残してぇ、もぅ「やっとれん!」っていう事で後輩に全部出席させて、僕は仕事へ行ったんだね。
M: へぇぇ~。
武藤さん: で仕事行って、派遣された先が和歌山だったの。
M: 和歌山?
武藤さん: そ、和歌山。ホントにねぇ、単なる偶然なんだけどぉ。
Y: だから和歌山の方の知り合いが多いんだぁ!
武藤さん: そぉ!笑えるでしょぉ~。僕がまだ大学在籍してて、6年生のときに仕事しなきゃいけないって会社に入って、そこが今の仕事の会社なんだけどぉ。美術品の。
M: へぇぇ~!
武藤さん: そこはぁ「南海電車」のぉ、岬公園ってとこでペルシャのイベントをやってたの。
Y: ほぉぉ~。
武藤さん: で、そこへ僕ペーペーで、一番下だったから行かされてぇ。その当時僕もぉ「ホンダのN360」に乗ってたの。
Y: ウハァ~!渋いシブイ!!
武藤さん: 「TSモデル」ってよく走った車なんだけど。で、それにサーフボード積んでぇ、まぁサーフィンできるとは思ってなかったけどぉ、和歌山で。
M: へぇぇぇ~。
武藤さん: で、ちょうどねぇ、岸和田って分かるかなぁ?ダンジリの。
Y: えぇx、分かります。
武藤さん: あのすぐ傍なんだわ、僕らが仕事してたのは。
Y: はい。あの気性の激しいところの。
武藤さん: そぉそぉ、そっから和歌山まで一山越えてぇ、とりあえず何にも分かんないからぁ、和歌山行ってサーフショップ探したの、一生懸命。
Y: えぇ。
武藤さん: そしたら「ゴッデス」が、和歌山ゴッデスがあってー。
Y: ゴッデス、はい。
武藤さん: で、僕そこへ入っちゃったのよ。
Y: で、そこでタダシさんと?
武藤さん: その頃タダシさんとは縁がなくって、和歌山ゴッデスのオーナー、すごぉいいい子でさぁ、その後すぐガンで死んじゃったんだけど。そのときそこでずっと居候してたのが「ヘンリー」だもん。
Y: ヘンリー祝さん?
武藤さん: そ。
Y: へぇぇ~。
武藤さん: 「デリカ」かなんかの車乗っててぇ~。で、その時和歌山のゴッデスで一番若くて18でパシリやってたのが「シュンペイちゃん」なんだわぁ~。
Y: へぇぇ。

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武藤さん: で仲良くなってぇ、みんなと。で、和歌山の磯ノ浦に連れてってもらったり、言えないようなシークレットにいっぱい連れてってもらったり・・・。僕まだ下手だったんだけど、みんな大事にしてくれて。で、夜も遊びに連れてってくれて、それ丸々六ヶ月間僕いたからねぇ、すんごい楽しい時を過ごさせていただいて。
Y: なぁるほど、それが5年生・6年生の頃。
武藤さん: 6年生だねぇ(笑)。僕だって6年目の10月に卒業証書もらってるから。
Y: え、じゃぁ武藤さん、こっちに戻って来て、実際伊良湖はその後ですか?
武藤さん: そぉだねぇ。で、僕えっとそっちで、和歌山で初めてゴッデスの板買ったんだ。それまで乗ってたマリブを下取りに出して、初めてゴッデスの板に乗ったのが、ゴッデスの始まりだよね。まだ全然、タダシさんともショウゴさんとも全然繋がりはないし、TSモデルも何にも分かんなくてぇ・・・。
Y: えぇ。
武藤さん: で、その年の秋に東京へ戻って来て、で、その次の年かなぁ・・・昭和54年に名古屋店が出来るっていうことで、僕名古屋店の責任者で仕事だからっていうんで、今度は僕名古屋へ帰って来たの。
Y: そぉか~、俺らはまだその頃出会ってないなぁ。
武藤さん: そぉ、昭和54年。ちょっと微妙な問題なんだけど、その時ウチの店で働いてた女の子がまぁ、僕の、だったわけ。それが「シゲキ君」の連れだったんだ。
Y: えぇえぇえぇ~!!??
武藤さん: 笑えるでしょぉ~?で、その彼女がゴッデスで板買っとったんだわ、名古屋のゴッデスで。ほんで行くならそこ行きましょって話しになってぇ、で、ヨシオ君とこ行き始めたの。
Y: へぇぇぇ~・・・。
武藤さん: 笑えるよねぇ~。世の中怖くてさぁ(苦笑)。だけどその頃は僕まだシゲキ君とは接点ない。
Y: 出会ってない?
武藤さん: ゴメンゴメン、話が前後して申し訳ないけど。カルロスと知り合ったの、俺高校生の時なの。
Y: はぁぁ~。
武藤さん: 高校生の時にぃ、納屋橋かどっかの変なディスコ崩れみたいな店行ったときに知り合ってぇ、大学時代はずっと付き合っっとたもん。
Y: あー、そぉなんですかぁ。
武藤さん: うん、カルロスが横須賀行きたいとか横浜行きたいとか、そこ行ってダンス覚えたいって時は必ず僕のとこに来て一緒に行ってたの。
Y: へぇぇぇぇ~。
武藤さん: で、お互い偶然だけど、全然違うところでサーフィン始めて、で僕が夏休みに名古屋へ帰って来ると伊良湖で待ち合わせしてたりしてたんだよ。
Y: そぉなんですかぁ~。
武藤さん: それは年に一回あるかないかの話だけど。
M: もぉ、旧友も旧友ですよねぇ?

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武藤さん: 腐れ縁だから切れない(笑)。
M: え、でも高校生の時代からって。。どぉんな長いんですかぁ~?
武藤さん: ねぇ~、信じられんよねぇ、もぉ40年以上付き合ってるって。
Y: そぉですねぇ~。
M: 今なお、お二人とも元気でやられてるっていうのがスゴイですよねぇ~。普通こぅ、どっちかがこぉなっても良さそうなのに(笑)。
Y: そっから伊良湖時代が始まるんだ。
武藤さん: そぉ、んで、僕ゴッデスで2~3本作って2~3年間いて。
M: お店に?
武藤さん: ただその頃ぉ、僕、店が月曜休みだったかな。だから行けるのが日曜の午前中と、月曜日だけだったの。だからサラリーマンサーファーだった。
Y: 一世風靡したからなx・・・。
武藤さん: その頃僕働いてたお店が新栄の錦通りのところにあったから。
Y: 分かります、僕行ったことあります。
武藤さん: 分かるでしょ、新栄の錦通りの。あれの真向かいだったの、ウチのお店が。
Y: ロジックがあった。
武藤さん: ロジックにカルロスがいたの。
Y: あー、そぉかぁ~。
武藤さん: 僕も行ったよ、カルロスいたから。
Y: あの~、あそこは、ウインザハウスとかは?
武藤さん: あー、僕知らない。
Y: 僕最初に行ったディスコがそこなんですよ、キャバレー「エンパイア」があった跡地の。

武藤さん: 全然知らない、そこは。
Y: で、そこに行ってるうちにぃ、知り合ったヤツがもぅちょっとこぅ~って言って、フラフラっと行ったりして。でもその時ユゥさんとは会ってたかもしんないけどぉ、覚えてないですね。
武藤さん: ユゥちゃんはBPにいて、その次はロジックだからぁ、多分行ってたら会ってたよね。
Y: そぉですね~(笑)。
Y: それで、皆で伊良湖へ行くようになってくんですね。
武藤さん: そぉだね、でも、分からん、その辺覚えてないなぁ・・・。
Y: あれはどぉなんですか?ナガイ君が前身のカントリーライン、あるじゃないですか?岐阜の真砂んとこの。あの全体写真に武藤さん載ってるの僕知ってるんですけど。ナガイ君と、セイジ君とぉ、あと二人くらい載っててぇ、なんか、広告になってますよ。
武藤さん: ホントぉ?タミオ君が止めた後だよね?
Y: かなぁ?
武藤さん: ウチのお店、錦通りの新栄にあってぇ、「パウロア」って分かるかなぁ?中野クンがやってるお店。
Y: 分かります。
武藤さん: あそこのお店に行く途中に、サーフショップがあったんだよ。「アウトサイド」って。
Y: あー、「アウトサイド」ってぇ。
武藤さん: 変わったオジサンがやっててぇ。そこが、そこのオヤジと何で知り合ったか分かんないけど、多分その人居酒屋もやっててぇ、ウチの酒を置きたいかなんかって話があって知り合って、で、そのサーフショップにナガイ君もおったしぃ、小山君もおったしぃ、タミオもおったの。
Y: あーっ!!そぉっかぁ~!!そぉなんだぁ~。

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武藤さん: そぉ、その三人がおったもん。
Y: へぇ~、そぉかぁ、何となく分かる。
武藤さん: でぇ、そこの出店が星が丘にあったの。
Y: それ知らない。
武藤さん: 星が丘の三越の前の駐車場の中に小っちゃなプレハブがあってぇ、そこにタミオ君が店番しとったんだ、ボルトを売って。
Y: へぇー!それは僕知らないです。
武藤さん: そぉ。で、その次の年くらいにぃ、タミオが独立して千種にお店出して、僕はそこへ行くようになったの。
Y: 「ティキ」かなんか?
武藤さん: 「KIKI」
Y: そぉですよねぇ、あ、「KIKI」。あの千種の河合塾の近く。
武藤さん: で、もぉその頃からKIKIは月曜休みで、またその店の隣のマンションにカルロスが住んどってぇ。
M: ウハハっ、まぁた。
Y: フフフフ。
武藤さん: カルロスも月曜休み。みんな月曜休みにしようってことで、全員でKIKI・タミオのハイエースで海行くようになったの。それが何年か続いたの、ボルトの板のって。
M: そのボルトの時はやっぱりもう短いんですか?ちょっと厚い?
武藤さん: カマボコ型のね。
Y: 加藤さんとこにあったやつ。
M: へぇぇぇ~。
武藤さん: それが20代後半の頃ですねぇ~。
M: 武藤さんが20代後半ってことは、まだ吉川さんは10代だから登場してないですよね?
Y: だって僕が武藤さんと初めて知り合ったのは、武藤さんがスポンサーをやった「BaliHighカップ」のときだもん。
武藤さん: あぁ~。
Y: 言葉交わしたのは。こちらは覚えてるけど、武藤さんの記憶には絶対無いと思う。
武藤さん: 大分後だもんねぇ、もぉ。
Y: 大分後。80~5年ですよね?
武藤さん: 85年。

。。。。続きは次回~。。。お楽しみにっ!!

2008.8.29 BELLS吉川さんから受けたインタビュー記事をIRAKO CLASSICに残します。

吉川英至の~温故知新~

「武藤恒志氏」  サーフィン

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武藤さんと初めて出会ったのは、85年のバリハイカップ。JPSAのプロサーフィン大会の冠スポンサーとして、当時私が大会の役員だった時である。存在はその少し前から知ってはいたが、実際に会話を交わしたのは多分、その時だったと思う。もともと紳士的な方で、よく大会(TSA)1A~4Aのクラスの3Aで入賞をしていたのを思い出す。

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インタビューにあったように、一時海から遠ざかり、海で見なくなったが、ロングボードの復活と共に、伊良湖ロングボーダーズ(TEAM BaliHigh)の前身を作り、実費でステッカーやTシャツを作り、メンバーをまとめ、97年からは「伊良湖ロングボードクラシック」の大会を開催し、途中紆余曲折はあるが、現在に至っている。

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「お金があるから出来るんだよ」と言う人がいらっしゃるが、私はそれは、違うと思う。お金がある人というのは、大抵二通りに分かれ、ガメツクなる人と、奉仕する人、このどちらかだと思う。武藤さんは後者で、もちろん自分自身が楽しみたい、というのもあるのだと思うが、他の志もなければなかなか出来ることではない。なぜなら、それをやろうがやるまいが、自分は全く困らないからである。

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また、武藤さんがまとめた伊良湖クラシックの歴史の資料は、頭が下がる限りで、60年代~70年代中頃までのことを、よく聞き集めたなと、本当に思う。どんな人でも、いつかは死が訪れ、この世を去る(生老病死)。でもこのような資料は、伊良湖のサーファーにとっての宝であり、後世に続くものである。武藤さんには、入手困難なDVDやネクタイを頂戴したり、色々なパーティーに誘っていただいたりと、いろんな意味でお世話になっており、心から感謝している。これからもお元気で。私達後輩の前を、十二分に波に乗って行ってください!!(譲らなくても乗ってっちゃうけどネ!?)

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<今日の一言>
実るほど、頭を下げる稲穂かな

<意味>
田んぼの中の稲穂というものは、実れば実るほど穂先(頭)を下げることから、学識などが深まり優れた人物になればなる程、謙虚になるものだ、というたとえ。
尊敬するレジェンドサーファー・武藤さんとの対談は↓↓こちらから!
どうぞお楽しみください♪
http://fine.ap.teacup.com/interview/19.htmlそして武藤さんが収集されている「IRAKO CLASSIC」(伊良湖の歴史)はこちらからご覧いただけます!
http://balihigh.cocolog-nifty.com/irako/cat3724789/index.html

 

2008.9.6  BELLSの吉川さんからインタビュウーを受けた時の記事をIRAKO CLASSICに残します。

2020年6月 5日 (金)

R.I.P.

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そろそろ真打の登場です、まあ東京というか関東ともうしましょうか、いややっぱ全国規模かな?この方の事を知らないサーファーはおらんでしょう。今回の大会でMCを担当してくれたSammy中浦氏でございます。まあちょっと遅刻したり中抜けしてる間はSammy'sのライダーが上手くフォローしてMCをやってくれてました。それに今回は何と私と一緒のヒートに出場し、仲良く1コケした仲なんす。1985年から3年間、私がショートで全日本に出場していた頃、会場で必ずお会いしておりました、たしか当時は東京4区の代表で何度かニーボードで入賞してたはずです。Sammyさんも当時の事を覚えていてくれて昔の***話で盛り上がりましたよ。実はこの方は名古屋の大老舗EVINsurfの兄さんとは義兄弟の仲でして、お噂は伊良湖にまで鳴り響いておりましたが、今回ゆっくりとご一緒し、その真髄を垣間見る事が出来ました、この古いロングビーチでの写真は恐らく35年以上前だと思います。また聞くところによると伊良湖にはもう一人義兄弟のTくんがいるそうで、そちらとの再会も非常に楽しみになりました。こうして色んな方と再会できるのもサーフトリップの楽しみのひとつです、若い皆さんもぜひ旅に出てみてくださいな。

モテ期

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この年になると羞恥心もなくなるんで?こんなんも載せちゃいましょう。これは高校2年生の頃だと思います。当時冬休みと春休みはズーット雪山に篭りっきりの生活を続けてました、資料を見るとお世話になってた志賀高原硯川ホテルは当時1泊3食750円でありました。硯川ホテルには地下にBarがあり、毎晩たむろしてた時の写真だと思われます。怖いものなんて何もない青春真っ只中の最高の一瞬だったはず。

第17回志賀高原横手山滑降回転スキー競技会

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インターハイと同じ年の1965年3月28日、たしか初めて出場した横手山の大会です、後に滑降競技のみに変更されましたが、当時は前山での回転も含めた複合だったんですね。私は高校1年生、同じ少年1部には後に桂宮となられた当時の三笠宮宣仁親王も出場しておられます。宮様は私と同じ昭和23年の早生まれだからこの時は2年生でしたでしょうか、この後宮様は学習院大学スキー部で兄君とご活躍され、良くあちこちでご一緒いたしました。また少年2部の中学生にはこの後スキーの師匠となった佐藤国男と関和男の名前がありました、彼らはそれぞれ当時の1部校であった芝浦工大と専修に進みインカレの常連でオリンピック強化選手までなったはずです、ゼッケン281番は紛れもない私ですが、今見ると誠にたよりない情けない滑りです。幸いなことに成績タイムが残っていないのでホッとしてます。

第14回全国高等学校スキー選手権

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久々にお掃除してて高校時代のアルバム発見、この記事以前と被りそうだけど確認出来ないんで今一度。1965年に志賀高原で開催されたインターハイの時の写真です。最初が愛知県選手団。僕は一番の下っ端なんで一番後ろの真ん中位かな?前にいるのが岡崎本社だったオリンピックの息子だったかな?当時の愛知は名古屋学院が一番強かった頃で写真でも半分は学院だとおもう。監督の相馬先生も学院からでした。皆今は元気してるんかな?2枚目が大回転会場となった西館山、3枚目がスタートに向うところで左端が僕、次が学院の同期で伊藤勝康、次が学院の一年先輩伊藤明さん、先に座ってみえるのが相馬監督です。

 

2020年6月 4日 (木)

大熊猫一族

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昨日のヤスプロの杉原一族や同じくプロの鈴木一族等、親子・家族でサーフィンをする一家は多いものの、通常は親子と言ってもそのほとんどが父子である。これまたそんな常識を覆す田原の大熊猫一族は何と父母と子供達の正真正銘家族総出のサーファーなのだ、この日は残念ながら長男のノブがいなかったようだが、全員が揃って海にいることも多い、しかも凄い北村さんのピントでも判るとおりしっかりとDNAを受け継いでいるようでサーフィンの腕前も凄いもんだ、父親の腕前はASPでも証明されているし、ノブも最近勝利が多くなってきた、娘達も大会に出場するようになりこれからが楽しみ。後は何とか長生きして早く親子3代での波乗りをこの目で見届けたい。  撮影 北村守

保坂好久

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今朝TVニュースを見ててビックリ仰天、知ってる名前が出てきてインタビュー受けてるんだもん。何と昨日の別府大分毎日マラソンで保坂好久さんが2時間36分30秒で完走し、これが60歳以上の世界記録になったそうなんです。この保坂さんってサーファーでその昔全日本で二度戦った相手なんですよ。20回の新島大会で僕が1位、彼が2位。21回福島大会では彼が2位の僕3位と一勝一敗の良いライバルでしたので良く覚えてます、それが私と同じ60歳でしかも世界記録とは凄いじゃないの!こりゃ負けてはおられません、ってどうしよう?

最後の雪山

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実はこの日、撮影中にゲレンデ下で止まってTAKIさんを待ってる時に何故だかバランスを崩して転んでしまった、左尻から落ちた後首も後ろにガクッといったようで両方を痛めてしまい、昨日は朝から病院でレントゲン・治療、で一日中静養してました、首の方はたいしたことないんだけど腰はドスンと落ちたショックで腰骨の間の軟骨が圧迫されて炎症を起したようで暫くは痛みが取れないようです。今回は滑り始めてすぐに金具が壊れてしまい取りあえずTAKIさんに借りたビンディングを付けたのですがカントが使えず、セッティングもしっくり来なかったので転んだのかも?まあどちらにしても今回学んだことは年を取っても性格は変えられないということ。小学校に入る相当前から雪山に通い始め小学校5年からは雪山=競技の生活を何十年も続けてので雪の上に立つと自然闘争心が出ちゃうし、自分の目標もいかにして加速するかの一点だったので、いくら還暦になってもゆっくり滑ることが出来ない、今シーズンも5年ぶりなんで初日はさすがに抑えてはいたけど慣れてくるとやはりスピードに乗るようになり、今回でもリフトが動くと同時に滑り始め自分のラインをリフトから何度も確認しほとんどズレがないようになったのでもうそろそろ飛ばしても良いかと思い始めていた時に痛い目に会った、これはきっと神の声だったかもしれないな、このまま行ったら恐らく現役当時のスピードを出しかねない勢いだったし、頭は現役でも体が還暦ということをすっかり忘れていたのでそのうちもっと凄い怪我をする羽目になったような気がする。復旧可能な怪我の範囲で助かった、これを機にはやりもう雪山は引退かな?残りの人生サーフィンだけにするのが正解のような気がする、結論はもう暫く体の様子見て決めます。撮影はTAKIスノーボードスクールのインストラクター鈴木さん。

 

1999

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どういう訳だか私は取材の時に波に当たっちゃうんだよね、この1999年のNALU取材の撮影日はロコポイントのマイベスト10に入るような素晴らしい波、水もとっても綺麗で、たしかロングが二人とショートが数名いただけだった。2006年のONTHEBOARD取材の時も何と3日間の取材中2日間も石門で入ったなんて常識じゃ考えられない大当たりだったもん、こうして写真を見直してみても水の綺麗さが際立ってる。

2020年6月 1日 (月)

SURFING LIFE by Ted Adegawa

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テッド阿出川は1969年にはすでにボレックス16mmを手にハワイへ渡り、マカハサイドを中心にかなり意欲的に映画制作に取り組んでいた。それは彼が在籍していた日本大学芸術学部の気風を良い意味で反映させていたものと思われる。もっともこの時彼は製作を断念し、その後カリフォルニアに行った折にすべての機材を売り払っている。それから10年近い月日がたった今、テッドも30才の大台を大きく割り込んでしまったが、いまだに青雲の志経ち難く、意欲的な製作活動に打ち込んでいる。その間、むろん平坦な道のりを歩んできたわけではなく、紆余曲折の末、青春の蹉跌をいやというほど味わっている。その後、東京から現在のテッドサーフショップがある千葉県の夷隅郡に移って彼のサーフィンライフは前にもまして充実して行ったと思われる。千葉県のサーフィンメッカのひとつ太東、日本有数の河口ポイント夷隅川へいずれも5分以内という立地条件に彼は大いに満足しきっており、ぼくと会うたびに「石井くん、千葉は最高だよ。湘南とちがってのんびりしているし、商売でもうけてやろうなんていう野心も起きないから楽でいいよ。」と語っていた。しかしそういった環境のなかで、彼は必死になにか別のものを手探りしていた。というより創作意欲にかきたてられていた。テッドはサーフボードの世界でかって成功した男であり、男の夢も少なからず実現してきた。現在、サーフボードメーカーのオーナーやプロ選手になった者のなかでテッドのお世話になった人間は数多くいる。蛸操、飯高輝樹ら現在の彼のスタッフもなかなか有望でいい板作りにはげんでいる。しかし、彼にとって再度この世界で栄光の座につくことは、それほど意味のあることではない。男というものは一度自分の夢を実現したら最後、そのものにいつまでも固執する気持ちはなくなるものである。また新たに夢を見つけ、それを追い続けるのである。テッドの映画制作の動機はここに存在するのである。無論映画制作が少年時代からの夢ではあった。しかし、テッドは言う「今のサーフショップはむかしとちがって雑貨屋と同じだ。商売人にはかなわないし、物を輸入するにしても専門商社のエキスパート達と競ってもおもしろくない。」つまり、彼は以前ほどサーフショップというものの経営に興味を感じなくなっていた。彼の有名なことばに、「板の1本や2本置いたからといってサーフショップとは言わせない。」というのがある、事実、この1~2年、都心部を中心にそういったサーフショップとも雑貨屋ともつかない店が急激に増加した。そして、彼が言うサーフショップのスタイルというものが、振興のサーフショップを中心に崩れていく過程にあることは、彼同様に私も思うことである。古き良き時代へのノスタルジアではないが、サーファーのライフスタイル自体にそんな大きな変化のあろうハズがない。変化しているのはその周囲だけではないか。「商売人だったらぼくより優れた人間はこの世界にもたくさんいると思う。だけど、創作にかけては、ぼくだってまだ負けない。」という言葉は、彼が新境地開拓に新たな野心を燃やしていることの証拠である。テッドは昨年の2月、ハリウッドで新たにボリューの16mmを購入し、同時にアンジェニューの10倍、センチュリーの10mm、アンジェニューの5.9などを購入し意気揚々と帰ってきた。さらに日本でニッコールの200から600mmまでのズームを買い求め撮影の準備は整った。フィルムはコダックを用い、20,000フィートを消費し、編集中不用のフィルムはダンボールで3箱を廃棄したという。彼は撮影中フィルムの消費にあわて、「このままでは身を亡ぼす。」と語った。 さて、私は彼が彼のチームをケイティンチームチャレンジに参加させるためにカリフォルニアに出発する当日、1月21日に六本木のスタジオで編集を終えた「サーフィン・ライフ」を見た。フィルムは編集用に白黒にデュープしたもので、音はまだ入っていなかった。テッドはしきりにナレーションを日本語でやるか英語にするか迷っていた。(どちらになるか楽しみだ)音楽は4曲ほどオリジナルを入れ、あとはワーナー・パイオニアの持っているレーベルからピックアップする予定だ。タイトルの「サーフィン・ライフ」はテッドの考えらしいが、なかなか良い。余談になるが、実は私が「サーフィン・ワールド」を始める際、雑誌名をつけるのに苦慮し、最後に2つ残ったのが「サーフィン・ワールド」と「サーフィン・ライフ」であった。「サーフィン・ライフ」の発想は、小社刊のヨット雑誌「オーシャン・ライフ」になぞったものだが、現在の「サーフィン・ワールド」の編集方針を考慮し「サーフィン・ライフ」を取り下げたのだった。この雑誌が「サーフィン・ライフ」という名を取っていたら、編集内容と対比してずいぶん奇妙なものになっていただろう。「名は体をあらわす。」という。だれかが映画「フリーライド」を「ただ乗り」と訳していたが、製作者のビル・デラニイが聞いたらさぞ憤慨することだろう。これにはもっと深い意味があって、それは4月に完成する予定の「ニュー・フリー・ライド」のインフォメーションで話すことにする。テッドの「サーフィン・ライフ」はもっと素直に受け取って良いだろう。この映画には、何人かのサーファーの生活がクローズアップしてフィーチャーされている。その中の筆頭としては、昨年ケイティン・チームチャレンジでパット・オニールが率い、ショーン・トムソン、リノ・アベリラを擁した優勝候補オニールチームを2位に蹴落としたマイク・パーパスチーム。すなわち、マイク・パーパス、クリス・バレラ、マイク・ベネデビス等である。彼らはひとつ屋根の下に寄宿し、サーフィンが生活の中心になっており、それを軸にすばてが設計されている連中である。また、クリス・オルークはカリフォルニアの若手でもっとも将来を嘱望されているサーファーだが、彼はだれからも好かれる性格と純粋にサーフィンを追求める一途な態度がよく表現されている。ハワイのリン・ボイヤーは、今や世界のトッププロとして女子ではマーゴ・オバーグと常に1・2位を競っている選手だが、彼女のハレイワサーフでの生活を垣間見る時、そこには男まさりにサンセットを滑る彼女の女らしい一面がはっきりと描かれている。朝、7時前にサンセットをチェックしに行く彼女の勤勉な態度は日本のプロ(男子)がよく見習わなくてはならない点で、それ以上努力しないことには日本選手は女子にさえ勝てない。日本人のライフスタイルでとくに大きく取上げられているのは、千葉の中村兄弟だ。2人は練習時間があまり持てないことと千葉県外のコンテストに出場しないため、あまり目立たない存在となっているが、2人とも日本ではたぐいまれな名サーファーである。兄は松ちゃん、弟はピーター・パンの愛称で誰からも好かれている。彼らの家は大原の漁師であり、朝4時には漁に出て昼頃帰ってくる。冬は鉛を流したような日本海へ漁に行くという。彼らにしても、もっとサーフィンしたい、コンテストに出て活躍もしたいという気持ちでいっぱいである。しかし、現実に自分の生活体系を考えて見る時、そこから逃避してサーフィンの世界に没頭してしまうには、彼らはあまりにも勤勉である。そういう彼らの葛藤を含め、2人のサーフィンライフを描いたテッドの視点は、今までのサーフィン映画にない優れたものである。これを見たある者が、NHKの「明日の漁村」だと評した者がいるらしいが、冗談としてはおもしろいが、真剣に私達の人生を考える時、この2人の生き方は私達の心に強く響くものがあり、軽薄なサーフィン馬鹿に対して多くを暗示している。 映画はカリフォルニアのハモサビーチの雑踏から始まる。B・G・Mはイーグルスの「いつわりの瞳」を使うというが、曲の内容から言ってクローズアップされた女の子のヒップはダイレクトにセックスを連想させる。レイジーなイーグルスの調べは、かってのカリフォルニアを、今の虚像と頽廃にすりかえてしまった。テッドの眼を通したカリフォルニアの映像もどことなく頽廃的なのは、テッドも昔のように若くないということか?タイトルが終わって、ベッドのサーファーが夢で回想している場面が挿入される。マイク・パーパスのベルジーランドはダン・マーケルが水中からとらえているが、波はスモールで良くない。続いてパイプライン、オフ・ザ・ウォール、ワイメアと回想して5時に目ざましが鳴る。12才のスティーブ(ボーイズのチャンピオン)は起きてモーニングコーヒーをパーパス、クリスらのために用意する。彼らのなごやかな中にも規律正しい寄宿生活が表現されている。続いて場面は、ハワイのマイケル・ホーが優勝したトゥレソーのサザーランドプロコンテストを追う。スモールな波だ。カリフォルニアにシーンではこのほかに、イルカが水面を闊歩するエンシニータス、1キロダンパーのハンティングトン、クリス・オクールがフィーチャーされるウインダンシー。スケートボードはサンベルナンディノの「チューブトンネル」というスケートボードパークが紹介されているが、この素晴らしい施設が保険料込みで2ドルで使用できるのだから、日本の現状とは比較にならないことがわかる。インターミッションの後、日本の波はマイク・パーパスの銚子君ヶ浜、中村兄弟のマリブ、部原、抱井、増田が目立ったライディングを見せる夷隅河口のスモールウェイブ、全日本選手権の小田原酒匂川といったところだ。波が良くないのでそれほど興味をひかれないが、増田のP・Tを思わせるカットダウンと抱井の360度的ローラーコースターにはびっくりする。最後はショーンを中心としたオフ・ザ・ウォールでフィルムは幕を閉じる。 この映画「サーフィン・ライフ」はサーフィンを波でとらえ、その圧倒的なパワーとエネルギーに魅せられて劇場にやってくる観客は失望を覚えるだろう。しかし、スクリーンに現れるパイプライン、ワイメアのパニックウェイブを見てただはやしたてる観客はちっぽけな自己の体験からは想像もできない絵を見て興奮しているのであって、銀幕上の美女に思いをよせるのと同じようなものだ。一方、この「サーフィン・ライフ」は、あなたのまわりにゴロゴロしている、なんら特別でない人間のライフスタイルとしてサーフィンをとらえている。それはすなわち、テッド阿出川という一人の平凡なサーファーのライフスタイルの投影である。あまり身近に波やサーファーを見るあまり、この映画を陳腐なものと判断するサーファーは、自己を率直に省察していない。つまり、この映画は自分を主体として見るべきであり、夢を買いに劇場に赴くサーファーには反感を買うことになる。テッドは言う「ぼくは”フリー・ライド”とかああいったものを目標にこの映画を作ったのではない。彼らには最初からかなうわけがない。しかし、日本人が作ったものとして、今後も撮り続けることによってこの映画を素晴らしいものにしてゆく自信はある。」彼がこのフィルムに注込んだ闘志と投資は、彼の全精力をもってしたものであり、上映は3月上旬に開始されるだろう。  Hideaki Ishii SURFING WORLD 1978 SPRING

ジャッジ考

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昨日は早朝から終日ジャッジでした、人それぞれなんで同じサーフィンをやってても単に趣味としてとらえ、ただ楽しければ良いというのも当然アリだとは思うけど僕の場合は完全にスポーツ、それもどちらかというと格闘技に近いスポーツとして捉えて実行してるつもりなのでジャッジの重要性が身に沁みています。スポーツにおいてその技術や記録が進歩する為には人と争うことが必要なのはオリンピックを見てみたら一目瞭然、他人と争いお互いが競いながら伸びていきくものだし、それでこそ競技終了後に真の交流が図れるものと信じています。サーフィンの場合昨日の例でも参加者が96名のクラスだと13分間のヒートを5回勝ちあがり、やっとファイナルに残りそこでまた必死の15分間を戦うことになります、これが格闘技でないはずがない・・・、しかもジャッジはその真剣に戦う選手達の技量を正確に判断し勝者を決めるという重大な役割があり、まさにジャッジと選手が同じ基準で争っているようなもので気が抜けない、早朝からファイナルまで約10時間以上、その間3・1・3・2と、つまり3ヒートジャッジして1回休み、次にまた3ヒートジャッジして2回休みを繰り返す、しかし昨日のように波にサイズがある場合には波の影に選手が隠れたり、流されて離れてしまったりと4名の選手を確認する為休息中のジャッジもスポッターに回る為ほとんど休めない状況が続く、選手同様とてつもなく体力と気力を消耗する大変な仕事だ、昨日初めてフルでジャッジを務めたヤスプロもあまりのハードさにビックリしていたぐらいだ。しかし正確なジャッジは間違いなく良いサーファーを育てると信じているので何とかもう暫く頑張ろうと思う、というのも現在ASUにジャッジ登録しているサーファーの中でロングボーダーは僕と登ジャッジの2名のみ、現在転勤で彼がいないので実情はぼくしかいないのが現状なのだ、やはりジャッジングの場合にはその競技経験が物を言うはずなので実際この状況は厳しいと思う、何とか次世代のジャッジが育ってくれないと引退も出来ない、しかも僕の場合来月からは選手となって転戦が始まりジャッジ活動はお休みしなくてはいけないので申し訳なく思っている、もしこの記事を読んでジャッジに興味が沸いたロングボーダーがいたらぜひ連絡をしてください、出来る限りのバックアップをさせてもらいます。

オンザボードフェスティバル

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今回の大会ではロイヤルクラスに出場しました。湘南鵠沼の大会会場はファイナル時オンショアのスネサイズ、普通ならまず入らないコンデションですが、なんせメンバーが濃いので気を抜くこともままならず頑張っちゃいました。結果優勝したのはロデオサーフ岡田さん、彼は伊良湖ロングボードクラシックや静岡ロングボードクラシックでもファイナルの常連ですので納得の結果でしょう,しかもボードが大きいもんねー。そして2位が私という結果で自分では苦手な小波でこの成績は上々の上で大満足です。3位はバーバリアンズの御大佐藤さん、ビックウエーバーの彼にはこの波はきつかったようです、4位は今年伊良湖ロングボードクラシックのロイヤルクラスの勝者おやぢ山本は入りました、彼はマキシマム8本を10分程で使い果たしさっさと上がっていきましたが本人は上出来と思ったようで4位にはウーーンとうなってましたよ、5位は関西ロングボードクラブから来ていただいた瀬川さん、何でもお若い奥様との間にお子様が生まれて一番お幸せな時期だそうでサーフィンどころじゃなかったようです、全員心配された息切れもなく無事にヒートを終える事が出来てなによりでした。私はこの大会が50代最後となりこれで今シーズン全ての試合が終了となりました。来シーズンは60歳以上のクラスへとアップすることになりましたのでまた一段と楽しい大会に出会えそうな予感です。

 

Nat Young

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今回もまたわざわざ来日してくださったレジェンドサーファー「Nat Young」は来月のお誕生で61歳となるはずですが、まさに元気そのもので今回も精力的に活動してくれました。彼が今最も力を入れているのは「SURFERS CODE」と呼ぶサーフィンの基本ルールを判りやすく図解したボードを世界のサーフポイントに設置してサーファーのモラル向上に役立てようとするもので既に各地で設置が決まっています。現在これの日本語版の準備が進行中ですのでいずれ発表されることと思います。但し特殊な素材や基盤整備が必要なので一基約30万円と費用が掛かるため、今後新しいアクションを興す必要があるかもしれません、その時にはぜひ皆さんのご協力をお願い致します。

新島のトラさん

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今回のNPO法人レジェンドサーファーズ・クラブ功労者として表彰された新島のトラさんこと「大沼登良夫」さんと20年ぶりに再会出来ました、夜サザンカフェでのパーティーでは大盛り上がり、新島サーフィンの大功労者でもあるトラさんは1985年、今から23年前に新島で開催された第20回全日本でお会いしておりました。私はマスター、トラさんはロイヤルでそれぞれ優勝した思い出深い大会なので懐かしくも楽しいお酒となりました。今では村会議員としても大活躍でいずれは立派な村長さんになられるのではないかと勝手に想像しております。また現在は羽伏浦から1分のところに「サーフステーション・ハブシ」というコンドミニアムを経営していますので新島に行くサーファーには絶対のお勧めでございます。あっ2枚目でVサインしながら彼女とメールしておられるのはかのバーバリアンズの御大佐藤さんでございます!

大平洋ひとりぼっち

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昨日は風がオフに替わりクローズ気味だったロコポイントが使えると予想して朝一から待機、思ったとおり風は弱いオフショアになったはいたが思ってもいなかった台風18号からの東うねりが強まりハードコンデション、どうもロコは地形がいまいちのうえ東うねりに弱いのが弱点だ。ロングビーチもチェックし岩場が良い事も判っていたけど遠慮して入らずロコに戻り、北村さんと連絡の上一人でアウトを狙う事にした。まあ一人は良いけどまさかの時に迷惑掛けちゃいけないから一番太いリューシュを装着しアウトへ、出てみるとビーチで見るのとは大違いで面も良く、風もないので平和な感じ、ただ一人なのでポジションが掴めず最初は赤灯台の当たりまで出てしまい、中々乗れず、結局20分程ウロウロして灯台と堤防の中間点のピークに決定。たまに入ってくるお化けセットは頭半以上有ったかな?結構パワーのある波なんで注意してテイクオフを繰り返す内に見慣れた赤いウエアーが登場、アウトからだと遠すぎて色しか見えないけど間違いなく北村さんの登場、一旦車に戻って準備し改めてサークルの東端にセッティングするのが見えたので、ここからが本番と一人で頑張っちゃいましたよ。とにかくテイクオフからのドロップが迫力とパワーがあって最高でした、テイクオフの瞬間はイージーなんだけどすぐにストンと落ちる感じになりボードが離れそうになるのをこらえるのが良い、ボトムに下りてからはトロくなるんだけど今度はモンスターのようなブレイクが後から迫ってくるのがこれまた楽しいよ。結局この後2時間ばかり北村さんを独占させて頂き、全てのライディングを撮影して頂きました。中には珍しいグーフィーも2本ありました。当然ながらボードを離すのは危険なのでパーリングは一度も無かったし、スープからも全て逃げ切りました、一度だけグーフィーに乗り、最後のプルアウトがブレイクに押し戻されボードを飛ばしちゃいましたが丈夫なコードのおかげと堤防が近かったのでセーフ。9時過ぎて潮が上げてきたら急に乗れなくなり終了しました。北村さんは二科展の撤収で忙しい中、早速昨夜のうちに一本分を編集して頂いたのでアップいたします。明日から暫く海外で留守にしますが、こりゃまさに最高の餞別を頂きました、ロコポイントと北村さんに感謝です。  撮影 北村守

 

第3回伊良湖ロングボードクラシック

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昨夜ベッドサイドを片付けていたら偶然こんな本を見つけた、いつだったかきっと読みながら寝てしまいしまい忘れたんだとおもう、今は残念ながら廃刊となったしまった関西で出版されていたサーフィン月刊誌「サウス」1999年12月号だ、ちょうど今から10年前、まだ50歳の若い時?だわさ、記事に第3回伊良湖ロングボードクラシックが掲載されファイナリストも載っているが、改めて見てみるとこの後プロになった選手が4~5名はいるね、これって確率高いでしょ、大会としてはお役に立てたようで嬉しいです。本文には「年齢50歳以上のロイヤルクラスでは、地元の武藤恒志、九州の佐賀より進藤英司、そして湘南の鈴木兄弟と錚々たる往年のメンバーが顔を揃えている。決勝では武藤恒志と鈴木正の一騎打ちとなり、両者3本共に見事なライディングでまとめていたが3対2で武藤がローカルの意地を見せて優勝を遂げる。」MIC加藤さんの名文句ですねー、この当時から正さんとの因縁の勝負が始まっていたようです。尚本誌に掲載された写真は全て北村さんが撮影されたものでした。 

2020年5月29日 (金)

八丈島

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何年頃から通ったのかは忘れたけど80年代前半までは小牧から八丈島までYS11が直行で飛んでました、当時乗客のほとんどは釣り人でサーファーはまずいませんでした。始めて行った時はたしかカルロスと二人で何も判らず町に泊まってポイント探し、何とか末吉までたどり着いてカイザー・サントス・タコスに入った記憶があります。その後はこの末吉にある民宿「友喜荘」にお世話になるようになり、じいちゃん・ばあちゃんやお嬢さんにまで大変お世話になりました、本当に良い思い出です、その後小牧からの便がなくなってしまい行けなくなりましたが、その頃の冬場は毎年通ったものです。この写真は1984年、カイザーからタコスを望んでいるところかな?たしかSCの石井さんとも一緒に入った覚えがあります。このウエットは恐らく3mmでしょうか?水温がやたらと高かったんですよ。

J.S.O 高橋太郎

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1975年に発行されたJ.S.Oパンフレットに掲載された3名の方々のご挨拶を掲載させて頂きます。当時の状況やサーフィンの歴史まで今となっては貴重な資料ですので出来る限り原文に忠実にさせて頂きました。まずは現在NPO法人レジェンドサーファーズ・クラブ最高顧問の高橋太郎氏。
「日本にサーフィンが入ってきてもう16年以上になり、日本サーフィン連盟が10回目の大会を盛大に行い、今迄連盟(NSA)を盛り立てて来たサーフィンのパイオニア達がプロの連盟であるJ.S.Oを結成してNSA共々協力し合って、いよいよ日本にも本格的サーフィンの国として世界の“波の仲間”と対等にやって行ける時代を迎えつつあります。事は大変喜ばしい事です。今迄アマチュアの一級選手としてライディングしてきて今回プロに転向したトップサーファー達には、又新たにプロとしての心技両面に渡るあらゆる厳しい難問に遭遇するでしょうが日本のサーフィンを代表する者としての自格をもってほしいと願っております。私が始めてサーフボードを作ったのはもう16年位前になります。当時日本にはサーフィンのサの字もなく、日本ではサーフィンをする事は不可能だと言う観念が一般的でした。海が大好きな仲間と日本でもサーフィンが出来るのではないか?と思い始めすぐ作る事にしてはみたもののどんな形をしているのかさえ分かりません。ハワイ観光旅行のパンフレット、雑誌の切扱、などサーフィンが出ている物だったら何でも集めました。子供の絵本までも!やっと形の概略が分り、さあ作ろうと思ったが材料が分りません。ベニヤ板と丸太と細い棒等で2週間もかかってやっと長さ3m巾58cmの中空のボードが出来上がりました上にペンキを塗り水が入るからとサラシ布をまいてペンキで固める等いろいろ作りました。スケッグの取付方、反りの出し方、防水の仕方等今ではあたりまえの事が一つ一つ重大な難題でした。土曜日の晩にはまだ乾かないペンキにドライヤーをかけながら明日の波乗りの事を考え仲間と夜通し話し合いました。初めて米国製のボードを見たのは葉山の一色海岸です。まずその美しい曲線光沢に驚いたものです。何で出来ているのか?どうしてこんなに軽いのか?寝れぬ夜が続きました。ボードがファイバグラスとウレタンフォームで出来ている事を知ったのは葉山の外人がグレックという名前でGIの息子でありアメリカではサーフィンが大流行しているスポーツだと言う事が分ったあとでした。当時日本にはそんな材料は殆んどなく毎日毎日東京中の会社を捜し歩きました。町で走っているトラックにそれらしい物がつんであるのを見つけて追かけつかまえてたずねたら、硬質ウレタンでガッカリした事もあります。海岸で同じ自作ボードの仲間と会った時など材料は何をつかったか?どんな構造か等話し合って情報を交換しました。バルリ材のレンガ積、スチロールの尿素樹脂固め、ベニヤとスチロールのサンドイッチ等、又皆自分の新作ボードを自慢し愛していました。3m18kgのボードを大切に大切に砂の上にもソーッとおいたし、海から上がって家に帰ると真水で洗ってワックスをかけ部屋に飾て眺めていたものです。海岸で車ですれちがう時も必ずあいさつのサインをしました。当然の事ながら今ではサーフボードが欲しければ、デパートにでも売っているし、立派な先輩達が親切にサーフィンのNOWHOWを教えてくれる。外国の雑誌も沢山ある。大変めぐまれた中でサーフィンしています、でもこれからの日本の代表となって行く若い人達に是非お願いしたい事があります。サーフィンは精神のスポーツです。今迄そして今、日本を代表するサーファー。川井。井坂、小川、鈴木、出川、長沼、小室等々のトップサーファー達は皆、少くとも、どうしてボードを手に入れるか?どうやって乗るものか?等日本の草分け時代の感覚をやしなって来た人達です。自作のボードからロングボードそしてショートボードへとサーフィンはテクニック、システム、等色々な面で進歩して来ています。そして素晴らしい大会も続々と開かれます。しかし何か欠けているような気がするのです。サーフィンに対する情熱ボードに対する愛情、海に対する、仲間に対する何かが!私は若いこれからのサーファーにその何かをよく考えて欲しいと思います。私達は日本のサーフボードとNSA・JSOというプロアマ両方の組織の土台を創りました君達は何を創るのかを! J.S.O公認ジャッジ J.S.O公認指導員 ダックスサーフボード 高橋太郎

J.S.O 鈴木正

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同じく1975年J.S.Oのパンフレット一面に掲載されていた現在NPO法人レジェンドサーファーズ・クラブ理事長鈴木正氏。
「J.S.O(JAPAN SURFING ORGANIZATION)主催の日本に於ける新しいプロ部門の誕生により第1回JAPAN PRO SURFING CONTESTは、8月9日に千葉県太東岬スイークポイントで行われました。この大会の参加者は、J.S.Oのプロ認定者と、プロコンテスト出場権獲得者に限られ、予選から大変厳しいヒート分けと成った。各ヒート分けは、選手各々のクジで決定され公平さをプラスした。波は1.5m~2.0mで、オフショア、プロコンテストには少し物足りない感じ、しかし賞金がかかった上、プロとしての自覚から、非常に好プレーが続出し白熱したプレーが展開された。J.S.Oの誕生、私は過去10年間全日本サーフィン連盟に所属していました。しかし、今J.S.Oの一員として、プロコンテストをスタートさせ、今迄のうっせきしていた何かが思いきりよく流れ出ていくのを、私はじめ選手それぞれの目の中に見た様な気がする。その全日本サーフィン連盟に一言云わせて頂くなら、何年か前に私をはじめ他でも賞金レースをやろうとしました。そして、サーフィン連盟から圧力がかかり取り止めさせられました。今そのアマチュアであるべき連盟が、全日本で遊びで来日中の外人サーファーを参加させ、しかも賞金さえ出すと云うのはいったい何故だろうこれ一つ取り上げても主体性のなさが浮彫になっている。10年目にして土台から崩れていくのをもはや誰も止める事は出来ない。J.S.Oは出来るべくして出来たと云える。サーフィンそのもののスポンサーは、サーフボードメーカーであり、プロショップと云える。しかし、全日本サーフィン連盟はあくまでもアマチュアであり、その主旨を貫き、今後ともJ.S.Oと違った意味で権威あるものにして欲しい。10年間の蓄積を決して無駄にして欲しくない。スポンサーなくして賞金レースは行えない。これはとりもなおさず共栄共存を立証している。スポンサーとしてメリットが生まれればプロコンテストは永久的に続くだろう。選手も賞金獲得に日々努力を怠らない。私達はサーフィンを愛し、他にこんな素晴らしいスポーツはないと誰しも思っている。今後J.S.Oの役割は大きい。もちろんボードメーカー、プロショップ、その他関連会社の協力は絶対に必要だ。しかし、それ以外に、スポンサーを見付け出さねばならない。例えば、世界のビックコンテストは、Hangten American Pro(スポーツウエアーの会社)・スミノフ(酒の会社)・コカコーラ(清涼飲料水)・ガルフ(石油会社)まだ他にもあるでしょう。しかし皆サーフィンの良き理解者である事には間違いない。世界のサーフィン界で、この業界を一番良く知っているゴードン・クラークさん(米国クラークフォーム社長)は、私にこう云いました。「今、世界で一番サーフィン人口の多いのはオーストラリア・次にカリフォルニア・次に日本だ、しかし2~3年後には、日本がオーストラリアの次になるだろう」と、又こうも云った。「しかし日本の業界の立ち遅れは世界一だ」「何故、君達サーフィンにたずさわり、恩恵を受けている者達が、その利益をサーファーと共に分かち合おうとしない。何故日本のサーフボードはこんなに高いのだ」と、きつく云われました。確かに我々サーフボードに携わる者にとって直面した意見だ。ただ歴史が浅いと云う点日本のネックだろう。最後に、全日本サーフィン連盟はあくまでもアマチュアとしてスタートした。アマチュア精神を忘れてはならない。J.S.Oは、あくまでPRO部門を主体にし、業界の発展を第一目標に掲げ、世界に於ける日本の地位を確保しなければならない!中傷は結果に対して何の意味も持たない。J.S.Oはサーファーと共にあり、サーフボードメーカー、及びプロショップ等の協力母体から生まれたと云う事を忘れてはならない。  J.S.O理事 鈴木正

J.S.O 阿出川輝雄

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1975年J.S.Oパンフレットに書かれた現在NPO法人レジェンドサーファーズ・クラブ副理事長テッド阿出川氏のあいさつ。
「我々が(ここで我々というのは、日本でサーフィンが始められた頃の初期の人達である)サーフィンを始めて早くも十余年、過ってしまった。比の頃、海へ行って、いつも思うのは確かにサーファーは、ものすごい数にまで増えたものだと思う。また、銀座、かいわい、夜の六本木、赤坂・・・・はては、暴走族まで、アロハにプカシェル、このファッションは、絶対、我々、サーファーからのコピーそのものである。そんな事は、まあーどうでもよいのであって、すなわち我々がサーフボード、ビジネスを通じて行って来た。という事はこの十余年は決して無駄ではなく、少なからず意義があったと思う。その意義というのは、若者を健康的な海に魅力を感じさせた事である。私はこの間、サーフボード作りから、アクセサリーに到るもろもろを輸入―、事業としては、かなりにまで大きくなりました。それにつれて、経営管理がうまくいかず皆さん御存知の様に昨年暮れ倒産してしまいました。今では逆に気楽に仕事が出来、サーフィンする時間も多くとれるようになり、私本来の生き方に戻りつつあります。というのは、私の趣味は、小学生の頃から、釣り、素もぐり、スキーと、ほとんど夏休み、冬休みは家にいない位でした。大学の頃にはウェスタンにこり、(これはいまでもかわらないが)脱都会を進んで考えていました。自然の中での生活が、どれ程、人間にとって、有意義かという事からである。私の生き方からして、サーフィンの、サの字がつく仕事には、運営、ジャッジと、十余年やって来ました。私としては一生懸命、やって来た積もりです。しかし、そこに時代の流れがあり、運営方法、ジャッジ方法、ましてや日本サーフボード工業会に到っては、全く私の意に反したものになり、今後の運営にあっては、なるべくサーファーの意を汲み、あるいは、各国で行われているサーフィン大会システムの良い所を取り入れ、積極的、かつ、サーファー、ギャラリーがエキサイトする。プロのコンテストにも、今までにない私の力を導入し、全力をつくす積りです。幸いここにJ.S.Oのプロ組織に迎えられる事が出来、全く私の考えていた事、そのままの時代にあった組織です。サーファー諸君、サーフボード経営、サーフショップ経営諸氏も我々と共に、サーフィンをもっと盛り上げようではないか。私はこれを基点として、今までと違う方向へ事業も変えていき、昨年まで以上のテッドになる様努力します。最後に一言、年寄りサーファーを大切にしよう。  J.S.O理事 J.S.O公認ジャッジ J.S.O公認指導員 テッド阿出川

2020年5月28日 (木)

ほっちぽっち

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大学を出て名古屋に戻って35年以上になるはず、当初はまだ初心者レベルからの脱却にもだえていた頃でそれほど目立っていなかった?やはり30歳で独立し時間が自由になってからサーフィンでも多少注目されるようになってきた。職業が珍しかったのと、回りにマスコミ関係が多かったせいか結構取材も受けるようになった、たしか一番最初は朝日新聞だったんだけど残念ながら写真入のこの記事は残っていない。もうひとつFM愛知で一週間番組に出たこともあるけどこれまた残っていない。無事に保存されたいたのはこの一冊。1983年6月発行のタウン誌「HodgePodge」僕の記事の直前にDON'Tの伊藤さんが出ていた。当時36歳、そろそろコンテストでも勝てるようになっていたし時間も有ってショートボードのピーク直前の頃だ。記事の内容は今読んで見るとまったくお恥ずかしい・・・この年はたしかBaliHighの発売された年だったかな?ということは翌年が「JPSA BaliHighCup」だったかもしれない。この記事の最後は「でも、これからサーファーの人口、増えていくとおもうしね。若いのからお年寄りまで波乗りやるような時代になれば、理解されるようになるんじゃないかなぁ。たとえば、ハワイなんか行くと、60歳くらいでも波乗りいるし、夫婦でサーフボード、車に乗ってける人もいるし。普通のオバサンが波乗りの後に、ビニール袋からタバコとマッチ出して、一服してるのなんか見ると、あきれちゃうというか、感激しちゃうね。僕だって、60才だって70才だって、ずっと波乗りやってたいね。波乗り、捨てられないよ」 この記事から25年、まさにその60才になっても波乗りを続けているとは・・・・・

ライバル?

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CARLOSこと「奥村裕司」と知り合ったのは高校生の頃なのでかれこれ40年以上のお付き合いになる。当然知り合った頃は二人ともサーフィンを知らなかったのだが、次の年に私は東京の大学へ入り翌年にサーフィンと出会う、偶然にも前後してカルロスも伊良湖でサーフィンを始めるという不思議な巡り合いがあり、その後私が名古屋に戻った直後に彼が独立し、お互いの休日が同じということもあってほとんど一緒に行動していた時代があった。その頃から現在に至るまで一緒に大会に出ることも多く、年齢も近いことから意識してライバル関係になっている。但し通算成績では圧倒的に私優勢のはずだか彼は認めようとしない・・・。今回資料をチェックしていたら1984年10月7日に行われた第9回TSAサーフィンコンテストのリザルトが出てきたので公表してみます。
AⅣ
1.福井喜代博
2.浜田芳昭
3.内藤直樹
4.鈴木一也
5.藤田昌弘
6.日高正博
AⅢ
1.岡谷誠二
2.新美昌道
3.川井聖司
4.佐藤晃司
5.伊藤良一
6.三浦清史
AⅡ
1.武藤恒志
2.奥村裕司
3.山田マサユキ
4.大河
5.右坂正衛
6.水谷嘉男
AⅠ
1.横山勝久
2.森俊博
3.鈴木剛
4.早坂正
5.山口徳晃
6.楠敏昭
当時のクラス分けがどういう内容だったのか覚えていないが恐らく年齢ではなくレベルで分けていたのだろう。この時点でカルロスに勝って上のAⅢに上がったのかもしれないが記憶はない。AⅣ優勝の福井喜代博ことドガちゃんは全日本のファイナル常連で当時めちゃ迫力があった。今でも毎年マウンテンのパーティーで会う機会があるが最近では釣り一筋でサーフィンはまったくやっていないようで寂しい限り。AⅢ優勝の岡谷誠二は同じチームだったのでこれまた行動を共にしていたし、今でも現役で元気一杯のサーフィンを見せてくれる。他にも多くの懐かしい名前が見られる。 撮影 北村守

2020年5月27日 (水)

高橋太郎

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日本で始めてサーフボードを作った男 高橋太郎の伝説」
NPO法人レジェンドサーファーズ・クラブの最高顧問高橋太郎氏の伝記です。ずいぶん前に読んだ記憶があったんですが、最近お会いする機会が増えたのでどうしてもまた読みたくなり探しても見つからず、ついに古書で見つけました、しかも新品同様の美本で嬉しい限り、次回お会いした時にはサインしてもらおうかな? ミーハー???1959年日本で初めてサーフボード製作に立ち上がり、1960年夏初めて日本人製作のサーフボードが海に浮かびまさに歴史が始まりました。彼こそがまさにパイオニアであったのです、その後の歴史はまさに涙無くては読めないほどの成功と苦難の連続、それこそ小説のような人生を送られた方で、現在は千葉在住で自然に囲まれながら暮らしておられます。

金井英一郎

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どうも年のせいだと思うけど、最近は昔の事が気になって落ち着かない時が有る。1969年の夏休みは千葉・御宿で過ごした、当時大学の同級生の親が御宿で「メキシコホテル」という素敵なホテルを経営してたんだけど、その父親が以前使っていた伊勢海老の養殖場が空いていて、その施設を利用して当時東京ではやっていた絨毯バーをワンシーズン開いた、すでにサーフィンを始めており、ボードもウエットも持っていた私はこの話に飛びつき結局準備から閉店までに数ヶ月を御宿で過ごした経験が有る。たしかホテルの近くにある港の横が現地で大きな洞窟になっており部分的に海水が入っていると言う幻想的なロケーションで今やってもイケそうだと思う。さて、最近この時の事が気になって「御宿メキシコホテル」を調べているけど既に廃業されて時間がたっているのか写真がまったく見つからない、代わり?と言っちゃなんだけどその経営者、つまり同級生の父上が書いた小説がヒットしたので早速購入してみた。御宿が今でもメキシコと繋がりが有るのは徳川時代の初期に御宿沖で遭難したメキシコ壱船を地元の漁師達が救助して暖かくもてなしたことがキッカケになっているそうで、この本はその遭難した船に乗り合わせたスペイン貴族の伝記として書かれている。とても素人の文章とは思えず昨日いっきに読んでしまった、この著者は御宿生まれながら千葉県初のスキーヤーとして有名な方でSAJ(日本スキー連盟)理事・監事を務めた方、豊かな経験からくる文章なのだろう。これを読んでまさに1969年の夏を思い出してしまった。

Surf&Peace in JAPAN 湘南・辻堂Surfmeet

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湘南経済新聞

湘南・辻堂で「レジェンドサーファーズ・クラブ」設立記念イベント

2007年8月に旗揚げしたレジェンドサーファーズ・クラブ(東京都港区)が10月28日、設立記念イベント「Surf&Peace in Japan湘南・辻堂Surf meet」の一環として「レジェンドサーファーズクラブサーフィン大会」を湘南・辻堂正面ポイントで開催する。同クラブは「Surf&Peace」を合言葉に日本のサーフィン創成期を支えてきたレジェンドサーファーが集まり、世界中のサーファーのネットワークを構築し、サーファーから発信する「戦争のない平和な世界」を目的に立ち上げられたもの。発起メンバーは、ダクッスサーフボードの創設者で日本サーフィン連盟の設立にも尽力した高橋太郎さんやゴッデスインターナショナルの鈴木正さんをはじめとする7人。同大会は、サーフィンを通じて同クラブが提案する問題を少しでも参加者に考えてもらおうと企画した同クラブ初主催のサーフィン大会。競技カテゴリーはロングボード(ボーイズクラスのみショート)で、辻堂正面ポイントを2ポイント使用して、年齢別で5クラスに分かれ(ボーイズ・メン・マスター・ロイヤル・レジェンド)ポイント制で競われる。レディスはオープンクラスのみ。総勢160人が参加予定。大会には発起メンバー以外に、オーストラリアのレジェンドサーファー・ナットヤングさんやカリフォルニアのレジェンドサーファー・ボブピアソンさんなどがゲスト参加する。競技スタートは7時から。同イベント事務局のスタッフは「イベントを通じて、参加してくれた人たちが同クラブの掲げる目的を少しでも身近なものとしてとらえてくれれば」と話している。大会前日の27日には、鵠沼サーフビレッジ多目的ホール(藤沢市鵠沼海岸1)で、岐阜医療科大学専任講師の水野英莉さんを進行役に、レジェンドサーファーたちによるパネルディスカッションを用いたシンポジウムを開催する。開催時間は15時~16時。  湘南経済新聞

 

昨日は生まれて初めて入るポイントということで早めに鵠沼へ、チェックしたら最高の波なんで関係者に設営のお手伝いしなくて良いか確認したらOK!が出たので早速海へ、ステージ西からゲットしてみるとうまくセットをかわしてアウトに出れた、2ポイントを意識してステージの左右ピークでフロント・バックに乗ってみてピークを確認、波質は素晴らしく4アクションは入りそう、但し場所によってはゲットの困難な所がありこれはヒートの時間次第にしようと判断した。さて問題のラウンド1、このヒートだけが海に向かって右のBポイントで1ヒート12分で沖スタートに決まった。全員がジャッジテントの西側からゲットすることにしたんだけどピークが左なんで僕は少しでも回り込もうと右端からゲット、ところがこれが見事なまでの大失敗!ショアブレイクで凄いセットの連続をくらってしまいアッと気が付いたら隣のライフセーバーイベントのポイントまで流されていた、これに気付いた時点で頭が真っ白!ここまで来てゲット出来ずに終わったら恥ずかしくて帰れない・・・まさに切腹もんじゃんどないしょ!もう必死でパドル、前しか見ないで頑張ってやっとの思いで出たものの見事なまでのエリア外、この時点ですでに息が上がっていたんだけど必死でジャッジテントに向かってパドル、もう何も聞こえず見えずでいつスタートしてるのかも何も分からず体はガタガタ時間がないのは分かっていたから最初のセットにテイクオフしたものの当たり前のように足はガタガタで満足に動けない状態、ヨタヨタで何とかインサイドまで乗り継いでみたら既に残り3分切っているのが聞こえた、もうアウトへ出るだけの気力も時間もなくて取り敢えず本数揃えるためにスープでのテイクオフを二本乗った時点でタイムアウト!アーッこれで終わったなと負けを覚悟して海から上がった、なんとも情けなかった。諦めておやぢのとこへ行ってボーッと、息切れしてて体ももう限界だった。暫くしてから結果のコールが・・・アレッ?ゼッケン赤が1位通過だって?エッ!エッ?俺じゃん?何・何?急いでテントに確認取りに行きジャッジシートを見たらやはりヨタヨタの一本目がわずか2、5てスープライドが当然の1、0で合計3、5、落ちて当然のスコアーじゃない、だけど他がもっと悪かった、考えてみたら僕はトップを切ってゲットしてたし回りを見る余裕もなかったけどハードなのは僕だけじゃなかったんだ、皆が嵌まって出られなかったとのこと、おかげて首の皮一枚で繋がった!これが今回の全てだったのだ。運良くラウンド1を突破出来、次のヒートまでは一時間以上のインターバルが有ったので体力の回復に勤めました、大量に水分補給し、エネルギーゼリーを朝食替わりにして休みSFの始まる頃には準備万端、今度は江ノ島寄りのAポイントとなりカルロスと一緒に3分前からゲットしてみたらこちらはまるで天国のように楽々ゲットに成功し、スタート前にアウトに陣取りました、このサイズでアウトに出ちゃえばこっちのもん!セット数も多いのでカルロスとシェアーする余裕もあり最初にテイクオフしたグーフィーに彼が乗ってきたので妨害取られるからやめな!って言うことまで出来た。この波を乗り継ぎ最後のリエントリーの着地だけ失敗したけど6点、すぐにまたゲットに成功して次はレギュラーで全て決めて8点、もう一本乗ったけどこの14点でブッチの1位通過、但し一本目の最後で落ちたときにボードが頭にヒットして痛いのなんの、さわってみたら出血はしてなかったけど参ったぁ、上がってからみてもらったら見事なまでのたんこぶが出来てました。さてこの時点でナット・ヤングが膝痛の為に棄権してファイナルの四名が決定し午後までの時間待ち、弁当食べる気にもならないし、昼寝もまずいからまたしても水とゼリーで休息、時間が経ってもサイズの落ちる気配はまったくない、さていよいよファイナル開始かと思われたその時、急にナットがあまりの波の良さと痛みが和らいだのか急に一緒にやりたいと言い出し全員が賛成して特別参加することになった、まずは四人でゲットして全員がアウトに陣取った時まさに最高のセットが入り全員口開けて呆然、早く初めてくれればと思いつつスタートを待っていたらな・・・なんとまたまたとんでもなく最高のセットがまるで我々を見透かすようなパーフェクトブレイクを見せてきた、まったくもったいなかったがこれは聞いたらどうもナット待ちだったようだ、待ちに待ったスタートホーンがなり最初に乗ったのは鈴木さん、僕は最初のセットをスルーして二回目に勝負をかけた、ボブをマークしながらグーフィーの大きな波にテイクオフ、ほぼ自分のベストライディングが出来た、ゲット途中で鈴木さんが二本目のグーフィーを目の前で演技、僕の採点で4点台と見た、アウトにでたらまだボブがセット待ちしている、何とか3本乗りたかったので次のセットをレギュラーに、これもまあまあ、3分残してアウトに戻ったが結局この後はセットが途切れてしまい乗れずにタイムアウト!後からボブに聞いた話だとスタート前に入ったようなセットを待ち続けてしまい、それが最後まで入らなかったとの事、彼を一番ライバルと見てたんで結果的にスタートが遅れたのが僕に有利になったみたい、ナット・ヤングは最後までアウトには出てこずミドルで素晴らしい一本を決めただけだったそうだ、これも聞いてみたら良い波一本で良かったんだとの事、さすがソウルサーファーだね。結果はご覧の通りでプレゼンターのナット・ヤングからウイナーコールされて思わず感動してしまった、最後にスピーチまですることになり、「生まれて初めて入った鵠沼でこんな素敵な波に乗れて幸せです、こんな良い波の時に会場を提供してくださった地元の方々に感謝します、サーフ&ピース!」と話させて頂きました、こんな素晴らしい大会で素晴らしいサーファー逹と一緒の波に乗ることが出来た幸せを噛み締めています、全てに対して感謝の気持ちで一杯なんです、ありがとう。





大会結果

○Surf&Peace in JAPAN 湘南・辻堂Surfmeet
○2007年10月28日(日)
○会場:鵠沼銅像前ポイント
○天候:快晴、朝のうちほぼ無風のち東の風
○波質:頭~頭半、セットダブル

ボーイズクラス
優勝   小林直海(モンスターマッシュ)
2位    赤城力也(I-MODE-D)
3位    真田和也
4位    碑田 瞬 

レデースクラス
優勝   菊地美香(LF)
2位    森本直美(TAKI)
3位    栗田裕子(DUKE/JR)
4位    佐藤千穂(GODDESS)

メンクラス     
優勝   鈴木 剛(GODDESS)
2位   ダレン、ユーデリー(シーコング)
3位    ジョージ、トリム(シーコング)
4位    中山祐樹(シーコング)

マスタークラス   
優勝   鈴木克巳(GODDESS)
2位    石井克典
3位    餐場 勝(Smooth body)
4位    林  誠一

ロィヤルクラス   
優勝   来住野達也
2位    岡村謙一郎(THE USA SURF)
3位    市川伸治
4位    臼井 純(レフト)

レジェンドクラス     
優勝   武藤恒志(BaliHigh)
2位    鈴木  正(GODDESS)
3位    高橋宣成(TAKI)
4位    ボブピアソン(ARROW)


2020年5月26日 (火)

北村写真館

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台風14号は陸地から離れた海上を北東に進むコースをたどっている。伊良湖も台風14号の影響を受け、土曜日の朝はロングビーチ、ロコポイントなどはクローズアウト、サーフィンのできる状態ではなかった。早朝、BaliHighさんから○○ポイントに入るとのメールが入った。私の頭の中での○○ポイントは、決して期待できるような波が入るとは思えないところであった為、駐車場に車を止めて、先ずは波チェックにと、撮影機材を車に置いたままビーチに向かった。途中、私を呼び止める声がした。カモンさんこと岡本さんである。『凄いビッグウェーブですよBaliHighさんら数人のロングボーダーが、かなりアウトで入っているからすぐ撮影に入って下さい』との事。急遽引き返して撮影準備にとりかかった。駐車場で撮影準備中にBaliHighさんが上がってきてしまったが、今から撮影に入る事を告げると、休憩もとらず再度海に入ると言う。さすがにタフな方だ。BaliHighさんと、機材運搬係を買って出たカモンさんと一緒にビーチに向かった。小さな林を抜けると眼下に海がパッと広がった。予想をはるかに越えた見事なビッグウェーブである。BaliHighさんは海に飛び込み、アウトに向かって見る見る内に姿が小さくなっていく…。インサイドはショートボーダーがひしめきあっているが、アウトはBaliHighさんと原田さんの二人しかいない。彼らは撮られ放題♪超ラッキーな二人である。二人の豪快なライディングを連写で追った。超ビッグウェーブゆえに手応えは充分…。原田さんをワンラウンド撮り、BaliHighさんを2ラウンド撮ったところで異変に気が付いた…。『わっ!』カメラの撮影枚数のカウンターに数字が無い!!!!!!!原因はすぐ分かった。CFカードが入っていなかったのである。フィルムカメラでいう「フィルムの入れ忘れ」である。何十年と使っていたフィルムカメラでさえもフィルムを入れ忘れて撮ったという記憶がない。このポイントでの想定外のビッグウェーブを目の当たりにして、冷静さを失ってしまったのである。基本中の基本を忘れるほどのビッグウェーブに驚嘆したとはいえ、まだまだ修行が足りない…と反省しきり…。「釣り逃がした魚は大きい」と言われるように、空写し時のビッグウェーブは、その後に撮影した波のサイズの何倍もの大きさであった…と、今から振り返っても、そう思う…。アクシデント後のおふたりの写真をご披露しよう。BaliHighさん、原田さん、ごめんなさい!  文・撮影 北村守そんな訳で昨日の顛末をカモンからお届けします。
「balihighさん「幻の一本」しっかり目に焼きついてます!なにせ私は双眼鏡を覗きながら、「北村さんデカイセット入りましたよ!」「武藤さんドピークからパドルイン!」「わ!テイクオフした!」「でかすぎ!」「ダブル以上!」「ボトムターンからリップへ!わ!リップでターン決めた!凄えーワー!!!凄すぎ!!!」と叫びまくってました。まちがいなくこの日の最大で最高の波でした。その隣で北村さんは、しっかりとシャッター押し続けてました!最後の御愛嬌のポテチンまでしっかりと。。。balihighさん、安心してください。間違いなく二人の脳裏にしっかりと永久保存されてますから。」

 

人生最後の石門

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実は昨日・今日と石門に入っていました、昨日は残念ながら風がいまいち合わずにバンピーな面で苦労の連続、打って変わって今日の時間帯は無風・面ツルで○、でもハードだった~、プロ達はきのうで懲りたので今日はしっかりビーチまで行っての波チェック、その結果GO!と決まり3人で入ることになった、ビーチには出たもののセットの切れ目が無くインサイドのショアーブレイクをかわすタイミングがなかなか見つからず苦労した、最初にヨッチがパドルアウトを始めたので負けちゃいかんと何とかゲット、横にいたショーロクは残念ながらミドルで一度セットをくらって酷い状況だったらしく出遅れ、ところが人事じゃなくて今度は僕がやられて気が付いたら抜かれていた、ここでめげちゃ男じゃねーよと必死のパドル、何とかアウトにでてクリーンな海面を見たときには思わずヨッチとガッツフォームで叫んでしまった、それくらいハードなゲットだったし、アウトに出てから見るセットはまさにハワイアン6feet!まるでサンセットの波のようにうねりが山のようになって迫ってくる、心臓がパクついたのは久々だ、それでもここのピークは見た目と違いテイクオフがメチャ難しく中々乗れなくて焦った、まさな乗らずに出るような無様なまねだけはしたくなかった、なんせ岸では大きなレンズが狙っているのだから恥ずかしい真似はできない、しかし今回だけは自分でもこのボードでの挑戦は無謀だと知っていたから焦った、とても石門に入るボードじゃないもんな・・・それでも頑張って一本目をテイクオフに成功、無事にメイクもできゲットにも成功。そうこうしてると西寄りでショーロクが絶妙のタイミングでテイクオフしてノーズを掛けているのが見えて興奮気味、それからが長かった、ショーロクは上がってしまうし、ヨッチはショット狙いでしばらくは出たくないとのこと、僕はこれが最後と決めて大き目のピークを狙ってテイクオフ、なんせテイクオフの遅いボードなんでレイト気味になりドロップは真っ逆さまだった、何とかこらえてボトムに着いたときの気持ちはなんともいえない、そのまま出来るだけインまで乗り継いだけど最後のショアーブレイクは怖くて乗り続けれらない、一度待ってタイミングを見ながら岸へ向かってパドルするが引きが強すぎて戻されてしまう、巻かれるのを覚悟してショアーブレイクに突っ込みグルグルになりながら岸へ打ち上げられる、しかしここでも引きは強烈でまったく自分の意思では歩くことすら出来ないのだ、これだけは勘弁して欲しい・・・結局体中石だらけになって打ち上げられて何とか無事生還、と思ったら結局後で気が付いたらボトムに石がめり込んでクラッシュしていた!

 結局これが最後に入った石門となりました。また最後まで頑張ったヨッチはその後この時のショットがON THE BOARDの表紙を飾ることになった!

ライセンス

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昨日やっとJPSAからジャッジライセンスが届いた、これでASP(Association of Surfing Professionals)・ISA(International Surfing Association)・Surfing Australia、の公認ジャッジとして登録された訳です。さて今年はこれをどう使おうかな、そろそろ選手引退も近いことだし、これからはジャッジで若手を育てるようにしようかとも・・・なーんちゃってね・・・まだまだ現役辞めないよーーーっ。

2020年5月25日 (月)

地球温暖化

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2005年冬、ご存知弥八からロングビーチへと降りる道路が大雪で吹雪、今じゃ考えられんでしょ。後数十年もしたらマジで南国みたいになってるのかもね。

ASP

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2005年9月3日土曜日の夜、千葉勝浦でASPジャッジセミナーが開催された、写真左はASP理事長のウエイン・ラビット・バーソロミュー、右がASPインターナショナル・ヘッドジャッジのペリー・ハチェット。今回のセミナーには全国から20名程のJPSAジャッジが参加、最新のジャッジ基準について厳しい指導があった、内容に関しては今後折りに触れて書き込むけど、Mr.ペリーはまるでルールブックのような人というかASPのルールそのものなので凄い説得力が有った、まあ目から鱗った感じかな。これまでとはまるで違う基準が適用されるので、今後大会に出場する選手はこの新しい基準を知る必要性がある、ルールを知らない限り勝ち目はない。これで晴れてASPインターナショナルジャッジとして登録され、今後の大きな大会でもジャッジが可能になった。また今回の情報では来年度よりJPSAジャッジの受験資格が非常に厳しくなるとの事、早めに受験しておいてよかったのかもしれない。セミナーの前には新しいASPJapanの為の記者会見があり、なんとケリースレーターまで登場、これまた凄い4ショットでしょ。ラビット・ケリー、手前はASP Japanでお馴染みになった近江さんと加藤さん。残念ながらもうお1人のオガマさんはPCの側にいて離れていた為に写りませんでした。

 

2020年5月22日 (金)

全盛期

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私のショート時代の全盛期、1985-7年頃に、まだフィルムが貴重だった頃、港で私を撮ってくれた方がいらっしゃいました、お名前も知らなかったけどいつも写真を頂いてました。時には良いのがあると喫茶サリマノに飾ってもらってました。3枚目なんか角度からすると旧堤防からのショットでしょうか、貴重な写真なのに残念ながらネット初期の頃、まだスキャンがいまいちの時にオリジナルを紛失してしまい残念無念なり。ボードはカントリーラインの宇佐美シェープ、ウエットはDOVE、トランクスはバリのキンコン❗️1987年の全日本がまさに絶頂、大会会場に入ってから同クラスの人達と入っててもまったく負ける気がしなかった、ところがどっこい本番の初戦でまさかのインターフェア負け、当時はピーク優先じゃなくてスタンディングファーストだったのよ、勝つ気満々からのドン底でこのまま絶不調に落ち込み、ショートボードから引退する事となりました。

 

 

2020年5月21日 (木)

師匠対決

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右にいるのが伊良湖の師匠こと「マイケル師匠」まあ、ご本人の記憶はともかく、間違いなく伊良湖サーフィンの創世記におられた遺物のような方でございまして、私のように伊良湖での始まりから全日本開催時まで学生&プーで湘南・千葉・和歌山をうろうろしていた者にはまったく知られざる世界であった模様で、恐らくここをご覧のサーファーでも、この方がレストランサーフィンの駐車場で野宿していたのをご存知の方はいないのではなかろうか・・・それほど伊良湖では伝説のサーファーであるのでございます。トッ・・・・ところがその師匠が、これまた師匠と仰いでおられるのが左におみえのTED師匠で、この方はレベルが違い、日本のサーフィン創世記のファウンダーでおられます。何を隠そう今から37年前に私が始めて手に入れた中古のロングボードはこのお方のTEDサーフボードでございました。今回千葉太東のビーチでこのお二人がご対面し、恐らくだれの記憶にも無いような大昔の伊良湖サーフシーンの話題で大いに盛り上がっておられました。まさに師匠同士が我が国のサーフィン史を語り合う瞬間でありました。

カントリーライン

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これまた大昔の話、1985年の新島での全日本マスタークラスでは何と海の無い岐阜支部から出場のこの私が初優勝をさせて頂きました、当時岐阜のサーフショップ「カントリーライン」に所属していた関係で、当然のように当時はカントリーラインのボードに乗っており、新島での記念すべきボードも当然カントリーラインでありました。カントリーラインと言えばもうこの方したおられません!! 私と抱き合って思いで話に酔いしれたこの方こそ、名シェーパーであり、また超名ジャッジのカントリーラインオーナーの宇佐美潤さんでございます。この瞬間二人とも子供に戻っておりました。

SEAQUENCE

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1983年に発売された焼酎BaliHighは運良く第一次焼酎ブームにのってどんどんと売り上げを伸ばしてしまった、おかげで潤沢な資金が出来、サーフィンの世界にその資金をつぎ込むことも出来、残念ながらJPSAの資料が現在更新中の為に詳しい資料が出せないならが、当時2度に渡り伊良湖ロングビーチにおいてJPSAプロサーフィンサーキット「BaliHighCup」を開催出来た。またその第一回の優勝者で当時の日本プロサーフィンのヒーローとなった久我孝男くんのスポンサーにもなってしまった、確か当時彼のスポンサーは当然のように所属するシークエンスの他、BaliHigh、OP,DOVEと素敵なラインアップであった。今回千葉で久しぶりに「SEAQUENCE」のオーナーで素晴らしいプロサーファー&シェーパーでもある蛸操さんにお会いして、当時の話で盛り上がっていたら、何と何と!!!!当時孝男が乗っていたボードがまだちゃんと保存してあるとのこと、ぜひとも拝見したいとお願いしたところ・・・・何たることか、それならプレゼントしてくださるとの超嬉しすぎるお言葉にすぐ速攻で甘えてしまい、次の日ビーチまで届けていただいたのがこのショット!このボードはたしか当時JPSAが始めてウルワツで開催した大会で孝男が2位入賞した時に使ったボードとの事、まあもうなんとも嬉しいやら懐かしいやら・・・・・これから蛸さんには足を向けて眠れませんよ。
本当に感謝しております m(__)m

ロングビーチ 1978

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1978年のロングビーチ、いいね~弥八のホテルは健在だし、大松はまだ42号沿いまで出てきてない頃かな?ビーチに降りる道路は一本で弥八からの道路はまだ繋がっていないころで石塚プロの全盛期でしょ、この頃の岩場の波は良かったな~なんでこうなっちゃうんだろか?特にあの道路が出来てからの岩場はまったく見る影がないもんね。

2020年5月19日 (火)

内藤直樹氏


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5日はそれまでの鬱憤が溜まってたので朝一番4時半の入水だった。しばらく堤防横に入っていると、お久しぶりに内藤氏が現れた・・・もうそろそろ50???まだかな?なんせNSAのサイトで調べてみたら、彼はシニア・マスター・グランドマスターの通算で全日本で何と8回も優勝してる!たしかそれ以外にも入賞が数回あったから10年以上トップにいたわけで、サラリーマンなのに信じられない最近ではロコにロングが多すぎて新日に入る日が多いんだけど、やっぱこの西うねりじゃロコしかないでしょ・・・ってことでのご来店。ショートなんだけど、いつも僕と同じラインで意地でもテイクオフしていく。この日はマジな話で、僕のいる位置よりもうワンピーク東の方が良い感じだったので、絶対あっちが良いからと推薦したのに半信半疑、でもすぐに納得してくれて良いサーフィンしてました、まあこちらは多少悪くても堤防横にいたほうがいいしね、できるだけロングを引き寄せて内藤ピークはショートばっかりになって楽しそうでした。その後潮が引きアウトが割れ出したので僕はまた一番でアウトには出たんだけど、中々ミドルセッションが繋がらず悪戦苦闘、そんな中一本超アウトからミドルも繋げてインサイドで岸まで乗り継いだのが有ったんだけど、それを彼がしっかり見ていてくれた。しばらくするとアウトに出てきて、何とお褒めの言葉を頂いた、し・・・しかも「良いチューブ入ってたじゃん」との事、こりゃ嬉しいお言葉。あの日はこの一言で疲れなんか吹っ飛んだねー。世間はロングだショートだと色々あるけど、やっぱ判る人同士は良いな・・・あの日は結構イージーだったのでアウトにも妙なロングも入ってきててショートがカリカリしてた、そりゃそうだよ乗りそうで乗らない乗ったらこけてボード飛ばす・・・これじゃショートでなくても怒れるよ。田原の子が寄ってきて「あのロング知り合い?」って聞くから「知らないよ、放っといてどんどん乗っちゃいなよ」ってことで納得彼とはちゃんと波もシェアー出来たし、良い感じだったけど、まあGWだからしょうがないのかな?どうしたら良いのかね?浮いてるだけで人畜無害なら良いんだけど。やっぱ年とっても自分の事は判らないもんなんだろな・・・っと・・・・一度我が身も振り返って反省でもしてみるべ

May 07, 2004 内藤さんとの思い出

SURFING

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サーフィンって一体何なんだろう?もう自分でも良く判らなくなってる,、毎朝3時には自然に目が覚めてしまうし海に向かう運転は楽しくてしょうがない。今朝は雨上がりにトップで入ろうとしたけど当然1人きり・・・・・そんな時、ふと気が着くともう着替えてる女性が目に入る、彼女は凄い、ロコでもロンビでもどんなサイズでも入ってくる、しかも朝早く入って、子供を送り出す為に1時間程で帰っていく、良い感じだな。今朝は彼女を見つけた時、なーんとも言えないほのぼのした気分になった、次にハッと気が着くと横にロングを積んだ軽が来た、まだ遅くなるはずだったカツちゃんだ、「行くか」っで一言で通じてしまう。結局この3名がビーチを歩いて台風に挑むことに、良いシーンだな、顔だけ吹き替えるか?アウトにいたら後から数2-3人のショートが入ってきた、皆無言だけどしっかり目で挨拶するしなーんとなく微笑んでる、こんな日は何か起きたら助け合うしかないんだから、お互いが絶えず居場所をチェックしてたりする。この感じが良いんだな!混雑とはまったく無縁の世界で自分の力だけで波に挑む?いや波に遊んで頂く、
海・波・サーフィンって良いよーーー

May 21, 2004

ビーチクリーン

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伊良湖のロコポイントでは毎月第1日曜の朝9時から今井真治くんが中心となってビーチクリーンを開催してます。初めてもう4年目になるんではないでしょうか、静岡の静波・御前崎から浜松に掛けても同じ第1日曜が開催日なのでそれに合わせて太平洋岸のサーフポイントでビーチクリーンを開催しようという趣旨から始まりました。それまでのロコポイントはビーチには漂流ゴミ・また当時それほど整備されていなかった駐車場一帯はそりゃもうひどい有様でした、それ以前も自分ひとりだったり有志をつのったりして時々はやってましたが、とても追いつくもんじゃないし、個人で対応できる問題じゃないと考え、無理言って今井くん中心に初めてもらいました、ビーチクリーンの場合、本来サーフスポットなんで当然サーファーはいるから人を集める事はそれほど、思ったほど難しいことではありません。冬や春先は少ないけどこの時期からシーズンに掛けては多い日に100名以上が協力してくれます。ただ、問題は集めたゴミをどう処理するかなんです、いつも協力してくれてるサーファーも駐車場の集積場に集めたあの膨大な量のゴミをどうやって処理してるのか知らない人が殆どでしょう、今井くんやその友人達が地元の役場と交渉し、本当は休日に閉鎖しているゴミ処理場を開けてもらって、ビーチから軽トラックに載せてそこまで運び、自分達で降ろして処分しています、ゴミの多い時にはそれが2往復になる場合も有ります。どうかビーチクリーン参加の方々はこういった裏方の苦労もぜひとも理解して頂きたい。同じサーファーならば綺麗なビーチ綺麗な駐車場を使いたいのは当然だし、そうあるべきだと思います、そのためには漂流ゴミはどうしようも無いけど、せめてビーチにサーファーのゴミが有ったり、駐車場にゴミを捨てるような事の無いように、また普段でも気が付いたら少しでも拾って持ち帰るようにしましょう。もしビーチクリーンで軽トラの近辺にいる今井くんを見かけたらぜひ一声掛けてあげて下さいね。現在の駐車場は以前のゴミだらけが嘘のように良い状況が続いています、どうか皆でこれを守ろうではありませんか。

April 30, 2004

2020年5月18日 (月)

A.S.P. WLT 2009 YUMEYA presents Oxbow WLT in Tahara

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日本で初の開催となった世界大会が今 そのベールを脱いだ…!!アグレッシブでありながら 流れるようなスタイル&フローは必見!!世界最高峰のロングボード・イベント、WLTが遂に日本初上陸!本戦への出場を賭けたジャパン・トライアル、そしてパーフェクト・コンディションで迎えた本戦ラウンドの模様は、メディアを通じて世界中を熱狂させ、ロングボードが持つ驚異的な潜在能力を披露した!華麗なノーズライドと流れるようなターン、絶妙なボード・コントロールを繰出す世界TOP達の実力と美しいスタイルは、あらゆるロングボーダーに刺激を与え、次のステップへ誘う理想的な道標となるだろう。ASP TOUR ヘッドジャッジ、ペリー・ハチェット氏が語る貴重なロングボードの世界ジャッジ基準も必見・必聴! 特典映像にはオルタナティブ・ボードファンも必見のティームチャレンジとスーパーセッションの模様も!充実の内容とハイクオリティ・サウンドを盛込み、高い完成度が光る優秀作!!





★全ヒート・リザルト表の特典付き! ★本戦全スコア表示! 
SURFERS: テイラー・ジェンセン、ボンガ・パーキンス、 ハーリー・イングルビー、アントワーヌ・デルペロ、デュエイン・デ・ソート、真木蔵人、デヴィッド木下、森大騎、 尾頭信弘、ユージン・ティール、…and many more!
≪見逃せない特典映像が2つも!≫
■Team Challenge(ティーム・チャレンジ)
異種格闘技 !? 話題のスタンドアップパドルや、普段は見られないロングボーダー達のショートボードの演技も巧い!
■EXPRESSION SESSION(スーパー・セッション)
ベスト・ノーズライド賞とベスト・マニューバー賞を競う 特別試合の模様もボーナス収録!好(珍)演技が続出!
■再生時間 約67分(本編54分+ボーナス他13分)  
■価格4,935円(税込)■発売日 2009.10.24
■問合わせ先      
(株)マニューバーライン 東京:03-5245-3113/3114 大阪:06-6609-0035/0036 神奈川:0467-72-6226/6181

November 16, 2009

 

Cowabunga

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伊良湖WLTでナットヤングファミリーをビーチハウスへご招待したときにふすまにサインしてもらった中で「Cowabunga」という意味が良く判らなかった。今回NALUの取材のときにお願いして写真を撮ってもらい意味を調べて欲しいとお願いしてあったんだけど、編集部から「サーフィン辞書」に見つかったと連絡を頂けた。どうやら60年代初頭にサーファーの間で流行ったスラングのようだ、意味的には「やった~!」とか「ばんざ~い!」といった感じのようでリック・グリフィンの漫画なんかにも出てくる言葉みたいとのこと。まあ本能的に思ってた意味と同じだったのでホッとした。一度皆で叫んでみようかな。

December 11, 2009

 

2009 ASP WLT TAHARA Japan トライアル

October 06, 2009

2020年5月17日 (日)

テレビ神奈川

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先日東海テレビで放映されたWLTの番組が今月末にテレビ神奈川で放映されることが決定しました。しかも何と日曜日夜7時からの1時間という超ゴールデンタイムです、湘南のサーファーの皆さんぜひ見逃さないようチェックお願いします。
『サーファーの頂点へ 2009 ASP YUMEYA presents Oxbow WLT in TAHARA』
愛知県田原市赤羽海岸、ここは日本屈指のサーフィンのスポット。この場所で7月27日(月)~8月2日(日)の期間で、日本で初開催となったロングボードの世界選手権、WLT ワールドロングボードツアーが開催された。波のコンディションにも恵まれたこの大会。番組では世界中から集まったトッププロ32名による華麗なライディングシーンを余すところ無くお伝えします。また、あの伝説のサーファー、ナット・ヤングと俳優で趣味がサーフィンの山本太郎のトークなども必見です!
出演 ゲスト/ナレーション:山本太郎、コメンテーター:尾頭信弘(プロサーファー)、インタビューアー:古市陽子(プロサーファー)、MC:三浦茉莉(東海テレビアナウンサー)
放送は
テレビ神奈川
10月25日(日) 19:00~19:55

October 06, 2009

尾頭信弘

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WLTジャパントライアルを勝ち抜き本戦に出場した尾頭プロは今回の番組でも解説を勤めてくれました、その収録のために先週名古屋に来て一緒に飲んだんですが、何と翌日にはそのまま車で宮崎へ行ってしまった、現地から「頭半くらいですよ~」と連絡もらったけど16時間も掛けて行けんでしょ。昨日の連絡では宮崎の波も下がってようで今日は伊良湖へ来るかもしれない、でも波悪いんだよな~、さてどうしましょ。

September 02, 2009

WLT

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結局WLTの番組は大型テレビのハードとブルーレイレコーダーに録画して何度も何度も見直しております。選手のライディングには得点も出るのでジャッジの勉強にも最適です、このレベルの選手だと当然のように全員が上手いのでジャッジは大変な仕事になるんでしょうが要は「グッド」なのか「エクセレント」なのかをしっかり見極めることですね、そうするとおのずから結論が出てきます、一度右下に出る得点を隠して自己採点と比較してみませんか?

September 02, 2009

『サーファーの頂点へ 2009 ASP YUMEYA presents Oxbow WLT in TAHARA』

Toukai

皆さんは昨夜見ましたか?僕は一旦寝たあと目覚ましで5分前に起きてちゃんと見ましたよ。残念ながらロコでやったジャパントライアルは波もいまいちだし水も相当いまいちでしたね、R1のヒート10までのロンビもいまいちだったけど目の前で見て一発で心を奪われてしまったデルベロの9.5ライディングが見れて大満足。、ファイナル当日のロングビーチはまさに100点満点だね、波は良いし水もきれいで言うことなし、やっぱサーフィン映像は波次第ってことが証明された1時間でした、R2からすべてのライディングがカバーされた今回の番組はまさに世界に通じる伊良湖の波を知らしめるこれ以上ない機会になったはずです、ロングビーチが外人で溢れ返る日は近いかもね。

September 01, 2009

山本太郎

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月曜日深夜に放送される今回のWLT番組でホスト役を務めてくれたのは昨年のWQSに続いて山本太郎でした、何とWLT最終日のエキジビションには突如として飛び入り参加するほどのサーファーですが、今回は意外な場面での登場となるのでお楽しみに。尚本日はWLTの技術面解説者としてASP JAPANチャンピオンの尾頭プロが東海テレビに入り録音中とのこと、出来上がりが楽しみです。

August 28, 2009

『サーファーの頂点へ 2009 ASP YUMEYA presents Oxbow WLT in TAHARA』

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先日伊良湖で開催されたWLTの1時間番組がいよいよ放送が決定しました。日本で始めて開催されたロングボードの世界選手権、目の前で見る世界のトップサーファーのライディングはまさに想像を絶するものでした。最近のASPではジャッジ基準にショートとロングの違いはまったくありません、まさにショートもロングもサーフィンそのものなんです。今回ロングビーチの素晴らしい波で開催されたファイナルをご覧になれば一目瞭然!ぜひ大勢のサーファーの皆さんに見て頂きたい番組です。深夜ではありますがぜひとも高視聴率を挙げて次回に繋がるようにしたいものです。
『サーファーの頂点へ 2009 ASP YUMEYA presents Oxbow WLT in TAHARA』
愛知県田原市赤羽海岸、日本屈指のサーフィンのスポット。ここでロングボードの世界選手権、WLT・ワールドロングボードツアーが開催された。伝説のサーファーも登場する
放送は
東海テレビ 1ch
8月31日(月)深夜 0:45~1:45

August 26, 2009

Nat Young

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お嬢さんが出たからというわけじゃありませんが、今回のWLT開催中のお写真です、ロコポイントでもロングビーチでも何度も海に入ってくれてました。ボードはBicのシグネチャーモデル、スタイリッシュなドロップニーは健在でファンを喜ばせてくれました。残念なのはTVクルーからロングビーチで一緒に入るよう言われたんだけど私はお疲れピークで入れなかったことかな。ビーチでは実に気さくで紳士そのもの、大勢のサーファーがサインをもらったり、一緒に写真を撮ったりしてましたよね。でも僕は知っているのだ、彼の真実はこの3枚目にあるのだよ、いやー只今61歳、お元気真っ盛りのサーファーそのもので最高でしょ。

August 13, 2009

WLT

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ASPから今回のWLTリザルトが届きました、これで今回のWLTは全て終了です。後は8月31日深夜放送の東海テレビをお楽しみください。

August 13, 2009

NAVA YOUNG

Nava

NatYoungのお嬢さん NavaYoungから彼女のCDを頂きました。何とも育ちの良い感じが出てる海をイメージしたラブソングかな、でもビックリするのは歌ってるだけじゃなくて全部が彼女の作詞だし、ギターも弾いてるそうですよ、ロングビーチで見たサーフィンも上手かったし、ビキニも素敵だったし・・・まったく神様は彼女の味方なのね。

August 13, 2009

SURF MEDI@

Surfmedia

今回のWLTで毎日プレスリリースを送って頂いていながら、発信人の「つのだゆき」って人を知らなかった私。つのだひろのご親戚かと思ってましたが、とんでもなかったねSURF MEDI@に「yuki's diary」を書いてるflow編集長でした、多分何年か前マリブでWCTが有った時の記者会見でお会いしてるかな?今回のWLTに関するdiaryを拝見しましたが、今回のWLTに対する指摘がまさに正論で拍手したくなりました。あのファイナルをビーチの一番前で見ていた自分がその時どんなに幸せを感じていたか、正に同じ気持ちを文章で表してくれてます。またWLTの選手のイメージに関しても僕が感じたものと同じだったようです。いかにWLTの選手が他の一流スポーツ選手と同じ立派なアスリートであるのかをあの時目に前で感じた人は多かったと信じてます。自称なんたらというサーファーの風上にもおけないやつに爪の垢でも飲ませてやりたいもんだ。ぜひともこの機会にSURFMEDI@へ言って右下にある「yuki's diary」を読んでみてください。くどいようですが絶対にお勧めします。  http://www.surfmedia-tk.co.jp/

August 10, 2009

2020年5月16日 (土)

ホッ・・・

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このWLTの選手はゼブラボードを売りたがってたんだけど体重があるせいか中々上手く決まらなくて可哀想だった、最終日に会えると思ったら来なくて余計心配したんだけど、何と土曜のロコポイントでこのボード乗ってるサーファーが居たんで思わず聞いちゃった、やっぱ彼から買ったんだそうだ、良かった良かった。

August 10, 2009

 

一週間

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まったく時間が経つのは早いもんですね、アッという間に1週間が過ぎちゃいました。ちょうど先週の金曜日ビーチハウスにナット・ヤングファミリーをお招きした夕食時の画像です。WLTにも出場したブライス・ヤングは大会前からどうもギックリ腰の用で具合が悪く、この日もファイナルが終わっていたにも関わらず腰が痛くて来られませんでした。ブライスの替わりにお嬢さんのボーイフレンドで同じくWLTに出場したテイラー・ジェンセンが来てくれました。何だか最初は緊張して正座してたくらいですが話をするうち打ち解けてすぐにビールの飲み合いになっちゃいましたが、聞いてみたら以前はカリフォルニアにいて現在はオーストラリア在住、しかもですよUSAチャンピオン3回、USオープンチャンピオン2回、2009オーストラリアチャンピオンというとんでもないサーファーでした。この日は「大松屋」さんから届いた甘エビや手羽先に加え、写真にも登場している松っあんの力作料理が山ほど並んで大宴会となりました。途中から飛び入りした山本太郎もサーファーらしい態度で良い感じでしたよ。この晩の模様は31日に放送される東海テレビの番組にも登場の予定なので楽しみにしてください。

August 07, 2009

 

COWABUNGA!!

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「COWABUNGA!!」って知ってましたか?先日ナットヤングファミリーがビーチハウスに来てくれて興が乗って何と古い襖にサインもらったんですが、その中にCOWABUNGAがあって、初めての言葉なんで聞いてみたら何でもオージーサーファーの合言葉なんだそうです、ハングテンの時に両手を高く上げたスタイルが牛の角に似ているからとか?詳しく知ってる人がいたら教えてね。結局この晩は最後の〆に皆でCOWABUNGAと合言葉で合唱しちゃいましたがな。

August 06, 2009

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2009A.S.P.夢屋プレゼンツ・オックスボーWLTイン田原大会リリース
8月2日 日曜日

最終日の今日は朝10時半から、メイン会場の赤羽根西海岸、ロコポイントで世界のトップ選手たちによるエクスプレッションセッションが行われた。天候は試合が始まってすぐに回復し、青空の中でのエクスプレッションセッションとなったが、オンショアの風が強く、波は風波の1メートルぐらいの高さといった感じで、いくら世界のトップ選手たちでも、この波でどんなパフォーマンスが出来るのだろう、と少々不安になった。が、しかしそれは取り越し苦労。さすが世界トップレベルのロングボーダーたちだ。彼らが乗ると波も数倍よく見える、といった感じの素晴らしいライディングが繰り広げられた。ロングボードでのエアー、きわどいオフザリップ、スピードのあるカットバック、長いノーズライディングなど、集まった多くのギャラリーたちはその最先端の技に唖然とするばかりだった。
参加したのは11人の選手たち。
第1ヒート
トニー・シルバニ(USA)
デーン・ピオリ(オーストラリア)
レミ・アロウゾ(フランス)
ジャレド・ニール(オーストラリア)
アントワーヌ・デルペロ(フランス)
サム・ブレークリー(イギリス)
第2ヒート
テイラー・ジェンセン(USA)
アレクシー・デニエル(フランス)
ベン・スキナー(イギリス)
ハーレー・イングレビー(オーストラリア)
コリン・マクフィリップス(USA)
各ヒート30分でベストマニューバーひとり、ベストノーズライディングひとりがファイナルに進出する。ファイナルでもベストマニューバー、ベストノーズライディングに賞金各5万円が贈られる。
第1ヒートのベストマニューバーはアントワーヌ・デルペロ(フランス)、 ベストノーズライディングがトニー・シルバニ(USA)。
第2ヒートではベストマニューバーが本大会での優勝者ハーレー・イングレビー(オーストラリア)、ベストノーズライディングがコリン・マクフィリップス(USA)だった。
続いてこの4名で行われたファイナルでは、各選手とも素晴らしいパフォーマンスを見せ、ギャラリーをおおいに沸かせたが、エアーや迫力のあるリップを見せたアントワーヌ・デルベロがベストマニューバー賞を獲得。また、何度も何度も長いスタイリッシュなノーズライディングを見せたトニー・シルバニがベストノーズライディング賞を獲得した。2009A.S.P.夢屋プレゼンツ・オックスボーWLT(ワールドロングボードツアー)イン田原の大会の模様は、東海テレビで8月31日深夜、24時25分から25時25分に放送される予定だ。イベントを見逃した方はこちらのテレビ放映でどうぞ。

2009A.S.P.夢屋プレゼンツ・オックスボーWLTイン田原実行委員会
つのだゆき

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2020年5月14日 (木)

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2009年8月1日 土曜日
2009A.S.P.夢屋プレゼンツ・オックスボーWLTイン田原大会リリース

2009A.S.P.夢屋プレゼンツ・オックスボーWLTイン田原の本大会は木曜日に終了し、オーストラリアのハーレー・イングレビー選手の優勝で幕を閉じたが、本日、そして明日にもメイン会場の赤羽根西海岸、ロコポイントではさまざまなイベントが繰り広げられている。まずは10時30分から始まった世界のトップ選手たちによる、賞金1000ドルをかけたチームチャレンジ戦。3人1チームで、得意のロングボードで出場できるのはひとりだけ。後のふたりの選手はロングボード以外のサーフギアで出場しなければならない。ショートボード、パドルボード、ボディボード、アライアなど、選手たちは思い思いに、いつもとは違った道具を手にし、それでも驚きのパフォーマンスを繰り広げてくれた。30分ヒートで、同時に海に入れるのは各チームひとり。各人のベストウエイブ1本で、計3本をカウントする。最初の選手がいいライディングをするのに時間を取れば、後の選手たちの時間がなくなっていくので、その辺の交代のタイミングも勝敗に影響するというわけだ。参加したのは以下の6チーム。
●チームオーストラリア
ジャレド・ニール/ハーレー・イングレビー/デーン・ピオリ
●チームインターナショナル
ロメイン・モーリン(フランス)/トニー・シルバニ(USA)/アマロ・マトス(ブラジル)
●チームブラジル
カルロス・バイヤ/エデュアルド・バジェー/アレックス・サラザー
●チームフランス
アレクシー・デニエル“ププーテ”/レミ・アロウゾ“ショーン”/アントワーヌ・デルペロ“デラペロ”
●チームオックスボー1
ベン・スキナー(イギリス)/デュエイン・デ・ソト(ハワイ)/コリン・マクフィリップス(USA)
●チームオックスボー2
テイラー・ジェンセン(USA)/マシュー・モイヤー(南アフリカ)/ブライス・ヤング(USA)
天候はおおむね曇り。時折雨がぱらついたり、晴れ間が見えたりと不安定な空模様。波のサイズは1メートル前後、風はサイドオンショアで、最高のコンディションとはいえないながらも、そこはさすがの世界レベルの選手たち。得意のロングボードばかりでなく、フィンのついていないオリジナルスタイルの、ただの木の板といった感じのボード、アライア、オールで操るパドルボード、ボディボード、ショートボードとそれぞれを器用にこなし。本当に世界のトップ選手たちは波を操る、という意味でのサーフィンがうまいなぁ、とギャラリーを感心させた。特にショートボードはプロはだしのテクニック。今のロングボードで世界のトップシーンに君臨するには、ショートボードのテクニックも必須なだけに、選手たちのショートボードでのパフォーマンスは素晴らしかった。優勝したのはチームインターナショナルの面々。表彰式では本当に嬉しそうだった。2位はチームブラジル、3位がチームオックスボー1。その後にはボディボード教室、ビーチクリーン、スイカ割りなども行われ、天候しだいだが夕方からは商工会、カード組合等による夜店も出て、フラダンス、ビーチライブ、花火大会などのイベントも予定されている。明日日曜日も同じメイン会場の赤羽根西海岸、ロコポイントで10時から世界のトップ選手たちによるエクスプレッションセッションやその他のイベントが行われる予定だ。

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つのだゆき

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2009A.S.P.夢屋プレゼンツ・オックスボーWLT(ワールドロングボードツアー)イン田原大会リリース

快晴の夏空と、ロングボードには最高の波(1~1.5メートル)に恵まれた大会4日目の「2009A.S.P.夢屋プレゼンツ・オックスボーWLT(ワールドロングボードツアー)イン田原」。運良く恵まれた最高のコンディションを生かそうと、早朝7時15分から夕方までかけて、ラウンド1の第11ヒートからファイナルまで、一気にコンテストを終了した。
優勝は世界ランキング3位のオーストラリアのハーレー・イングレビー。初のワールドタイトル奪取に向けて快調なスタートを切った。ハーレーは朝からスピードと迫力のあるいいライディングを見せて目立っていたが、ラウンドが進むに連れて調子を上げていった感じで、セミファイナル、ファイナルともまったく危なげなくセットのいい波をつかみ、8点台のハイポイントを簡単に出し、優勝した。惜しくも2位になったのは、デュエイン・デ・ソト(ハワイ)。ワールドチャンピオンのボンガ・パーキンス(ハワイ)をセミファイナルで破ってのファイナル進出だった。ファイナルではなかなかリズムがつかめずに2位になったが、ランキング13位のデュエインにすれば大金星といえよう。優勝候補の筆頭だったワールドチャンピオンのボンガ・パーキンスはセミファイナルでデュエインにいきなり8.50のハイポイントでリードを奪われ、中盤にも7.10ポイントをマークされて、逆転には8点代後半のポイントが必要となった。追い込まれたヒート後半は波が思うように入らず、それまでのボンガの安定感を覆すようなワイプアウトも目立ち、ツアー初戦を3位で終わった。もうひとり、今日朝からずっと快調だったフィル・ラズマン(ブラジル)は、ラウンド2で9.10のハイポイントも出していたが、セミファイナルではボンガと同じように対戦相手のハーレー・イングレビーに先行され、焦りからかワイプアウトが目立ち、3位にとどまった。今シーズンのWLTは、この日本と次のモルディブの2試合しか行われないため、この日本での成績はワールドタイトルに直接影響する大事な試合。今日上位に入った選手たちは今シーズンのタイトル争いにガッチリ食い込んだといえる。さて、2009A.S.P.夢屋プレゼンツ・オックスボーWLTイン田原大会は本日で終了したが、週末には数々のイベントがメイン会場のロコポイントで行われるし、出場選手たちによるチームチャレンジやエクスプレッションセッションなども、賞金をかけて行われることになっている。今日の観戦を逃した人も、土曜日、日曜日にロコポイントを訪れれば、世界最高峰のロングボードパフォーマンスを目に出来る。試合はすでに終わり、選手たちもリラックスしているので、より彼らを身近に感じられることと思うので、ぜひ会場に足を運んで欲しい。サンセットライブ、花火、スーパーセッション等の詳細は明日のリリースで。

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August 04, 2009

2020年5月13日 (水)

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2009A.S.P.夢屋プレゼンツ・オックスボーWLT(ワールドロングボードツアー)イン田原大会リリース

昨日まで雨と風に悩まされた「2009A.S.P.夢屋プレゼンツ・オックスボーWLT(ワールドロングボードツアー)イン田原」。大会4日目の今日は朝のうちこそ曇りがちだったものの、昼前には日差しが見え始め、午後からは青空が広がり、気温もうなぎのぼり。真夏の暑さを思わせる天候に恵まれた。風も弱い南風で、コンテスト会場のロングビーチではサイドオフショアにあたり、サーフィンにはいい風向き。波もサイズアップし、朝から1~1.5メートルの高さの波という、ロングボードのコンテストには絶好のコンディションになった。早朝7時15分から昨日ののこり、ラウンドワンの第11ヒートからスタート。続けてラウンド2の8ヒート、クオーターファイナル、そして出来ればファイナルまでを今日終わらせたいという選手と運営側の意向で、この先も長い一日になりそうだ。ラウンド2までの間で好調そうなのは安定した強さを見せている上位陣。ワールドチャンピオンのボンガ・パーキンス(ハワイ)はラウンド2でのオープニングライドが10点満点で8ポイントというハイポイント、その後のバックアップライドも5.75とスピードもテクニックもさすがの世界一というライディングを見せた。もうひとりラウンド2でハイポイントを出して目立っていたのが、世界7位のフィル・ラズマン(ブラジル)。スピードのあるマニューバーとスタイリッシュなノーズライディングの組み合わせで9.10のハイポイントをマーク、バックアップライドの2本目も7.00と好調ぶりをアピールした。対戦相手のテイラー・ジャンセン(アメリカ)も残り時間2分のところで8.65のハイポイントライドを見せ、その差をぐんと詰めるが、残念ながらここで時間切れ。ハイレベルなクロスヒートを逃してしまった。
本日夕方、ファイナル終了後に本日の最終リリースと、今後の週末にかけてのイベント日程をお送りします。
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つのだゆき

August 04, 2009

WLTスーパーセッション

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8月1日(土)にロコポイントで開催されたWLTスーパーセッションの模様が北村写真館BBSにアップ始まりました。たしかこの日はチームチャレンジでロング・ショート・パドルと何でもありの正にスーパーセッションそのもの。WLTのトップサーファーというものがいかに優れたサーファーなのかをはっきりと見せ付けた一日です。 撮影 北村守

August 04, 2009

WLT

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ロコポイント、田原市、愛知県
(2009年 7月30日 木曜日)
「YUMEYA presents Oxbow WLT in Tahara」の3日目は、昨日とは一転し、クラッシックなスーパーコンディションとなった。軽いオフショアが吹く伊良湖ロングビーチは3から4フィートの完璧なウネリがモバイル体制で設営されたイベント会場の正面にAフレームでブレイクし、7時ファーストコール7:15スタートという異例の速さでスタートした。 パーフェクトな波にアプローチする世界最高峰のロングボーダー達は、昨日までの雨とオンショアのコンディションに打って変わって、水を得た魚のように各々の最高なパフォーマンスを披露した。潮の干満やウネリの強弱が心配されたが終始力強い波と完璧なまでの風が大会会場を包み込み田原地域独特な真夏のイベントを1日中保ち続けた。 ラウンド1の残された11ヒートから16が順調に執り行われ。2003年から3年連続世界チャンピオンの座に輝いたコリン・マックフィリップ(アメリカ合衆国)がお手本どおりの完璧な試合運びで順当にラウンド2へ進み最高のお膳立てとなったステージで世界チャンピオン争いの第1幕がいよいよ本格化した。 選手、運営全ての意見が全員一致し、このコンディションのもとファイナルまで全てを行なうことがこの時点で決定していた。 ラウンド2は8ヒートがセットされ、マンオンマントーナメント上組にブラジルとハワイの選手が集中し、下組にはオーストラリア、アメリカ、ヨーロッパの選手が集中する展開となった。 1ヒートには、ブラジルのエドゥラド・バジェVSアマロ・マトスの戦いは自国ブラジルで新旧世代の戦いと成り若手のバジェがベテラン、マトスを完全に上回るスピードとコンビネーションでクォ-ターファイナルに勝ち上がった。 第3ヒートではハワイの中堅所、キーガン・エドワーズが若手ハワイアン、ネッド・スノーと対戦しエドワーズが次のクォーターに勝ち上がった。第5ヒートにはヨーロッパ勢同士が戦う展開となりフランナンバー1で昨年の世界ランキング2位のアントワー・デルペロ対イギリスのナンバー1ベン・スキナーが対戦しフランスのデルペロに軍配が上る。 第7ヒートではオーストラリア同士の対戦となり若手有望核でレジェンドナット・ヤングの息子であるブライス・ヤングがダークホース的存在のハーレー・イングルビーと対戦したがハーレーがその底力の深さを見せ付けられこの時点で敗退してしまった。 朝から潮の変化が大きく変わらない状態で引き続き入り続けるパーフェクトな波の状態でクォーターファイナルに突入した。 クォーターファイナルからは30分ヒートとなり第1ヒートには、共にOXBOWのティームライダーを務めるブラジルのバジェとハワイのデ・ソトがお互いにパワーサーフィンを繰り広げ、トータルスコアをバジェが10.50に対し、デ・ソトは13.50としドゥエイン・デソトがベスト4に一番乗りした。 第2ヒートはハワイアン同士の対戦が続き、昨年の世界チャンピオンボンガ・パーキンスが後輩のキーガン・エドワーズと対戦しボンガの貫禄が再びキーガンの進出を阻む展開となり、ボンガのベスト4入りを難なく許してしまう。 第3ヒートはフランスの若手アントワン・デルペロとブラジルの元世界チャンピオン、フィル・ラズマンの戦いとなった。ラウンド1からアントワンの勢いは悠長候補とささやかれていたが、14.25を出したラズマンのパワフルなサーフィンに対し、どこか制裁が魅されなかったアントワンは12.40と言う結果ではいたいとなった。 第4ヒートはダークホース的存在でここまで勝ち上がってきたハーレーが過去3回の世界チャンピオン、コリン・マックフィリップと対戦しコリンの世界制覇を15.30対12.00で降した。 セミファイナル第1ヒートは強力なハワイアン2名が相対し、世界タイトル防衛をかけたボンガとWLT初タイトルを狙うドゥエインの戦いとなり前半から高得点を仕掛け終始リードしたドゥエインに対しプライオリティーでよい波を待ち続けたボンガだが、不運にイベントを通して最も波数が少ない時間帯にはまり、ドゥエインの先制攻撃に完敗し15.60対12.75でボンガは3位に甘んじた。 第2ヒートはブラジルのフィル・ラズマンとオーストラリアのハーレー・イングルビーの熾烈な戦いが繰り広げられた。お互いに自国の名誉をかけて戦う2人に再び波が入り始め見事なまでにブレイクするレフトの波をどちらが過激にアプローチするかと言う持久戦がモノを言った。どちらも譲らない展開は16.50のハーレーに対し13.50のフィルとなりこの戦いはハーレーに軍配が上りダークホースのハーレーが念願のファイナルに進出した。 決勝に相応しい完璧なレフトがブレイクを続けファイナルのステージは申し分ないお膳立てとなった。ヒートがスターして直ぐに仕掛けたのはドゥエインだが高得点に結びつくライディングが出せず3本の波で十分な派フィーマンスが得られない中、セットの数が少なくなるなかじっくりと一番良い波を待ちハーレーはが高得点をたたき出した。 終始落ち着いた試合運びを心がけ安定したライディングを披露したハーレー・イングルビーのファイナルポイントは、14.75となり11.75で応戦したドゥエイン・デソトの追撃をしっかり抑えうれしい優勝と共に第2戦のモルジブに向けて世界チャンピオンに王手をかけた。
YUMEYA Oxbow WLT in TAHARAのファイナルの結果:
1.Harley Ingleby(Australia)
2.Duane Desoto(Hawaii)
3.Bonga Perkins(Hawaii)
 Phill Rajzman(Brazil)
※ASP ジャパンの公式ホームページwww.aspjapantour.com は世界のプロサーフィンに関するニュースのほかに日本向けだけの新しいプロサーフィンニュースも日々更新しています!日本語の大会速報は www.surfmedia-tk.co.jp からもプロサーフィンを見る事が出来ます。

August 02, 2009

夢の跡

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WLTの日程は全てが終了し、ロコポイントでは会場の撤去が粛々と進んでいます、昨夜のイベントで沖縄ライブのタンスに飛び入りし一躍有名人となった警備員のおじさんも多少お疲れ気味のご様子なり、ちなみに只今彼女募集中だそうなのでよろしくね。WLT会期中会場に足を運んでくださった多くの皆さん、またこのblogの愛読者の皆さんありがとう!

August 02, 2009

ピーカン

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ロコポイントはやっと晴れてきました、海ではサイドでジャンクな波がまるでパーフェクトに見えるほど素晴らしい演技が続いています、スーパーセッションはお昼過ぎに終わりそうです。

August 02, 2009

WLT

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WLTスーパーセッションは10時半からスタートします。

August 02, 2009

WLT

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ASPのルールブックと言われる世界のヘッドジャッジ、ペリーと今回のWLTコンテストディレクター加藤さんのご挨拶。WLTとしてはベストの波で行われた今回のWLTは大成功と言われオクスボウも絶賛しているとの事、世界中に配信された今回の映像で伊良湖の波が知れ渡り大変な反響を呼ぶことになると思います。夕方のイベントに引き続いて花火大会が行われたんですが、何と花火が終わった直後からどしゃ降りの雨になりました、様々な奇跡に見舞われた今回のWLTはまさに夢の大会です、この分だと明日もまた何か起きそうな予感!

August 01, 2009

2020年5月12日 (火)

WLT

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ファイナル終了後はビーチクリーン・スクール・夜店・フラダンス・ライブ・選手交流会・花火とイベントが続きます。

August 01, 2009

チームチャレンジ

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ロコポイントはサイド強め、セットは胸肩、間もなくファイナル始まります、ロングボード・ショートボード・パドルボード・ブギーボード・アライヤと何でもありで楽しい!

August 01, 2009

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